まごころと自我
「まごころと自我 如何」昨年の12月27日に頂いたお題です。私の身勝手、我侭な解釈です。ご参考までに。『いつもこの二つの狭間にあって苦しみ続けるのが人間のように思われます。心の葛藤とでも言えばいいのでしょうか。人としての行動や思いは時として、この二つの存在ゆえに悩み苦しむといっても過言ではないように感じます。まごころは真心。本来、人としてあるべき姿、持つべき思いや感情と表現するのでしょうか。あるいはその行動。自分が持ち合わせたまごころも時として、相手にはまごころとして受け入れてもらえない事も多々存在します。価値観の違い、立場の違い、宗教的なこともありますし育ちや環境、教育、民族的な歴史文化・・・普遍的なまごころの存在はあるのでしょうか。自我。他人や自分以外のものに対する行動や思いとでも言うのでしょうか。相手を時には敵対するもの、自分に不利益をもたらすものとして認識をしてしまう。際立つのが第1、第2の反抗期、成長期に顕著な形として現れてきますから、時には動物的な行動であったり、常に敵対的な言動が周りを苦しめ、自身もその目覚めに翻弄されるものです。一般的な大人社会や日常的な行動の中では、余り意識してはいませんが人間的なあり方と自我との程良い調和の中で成り立っているものです。常にまごころでありたいと願う気持ちと自分の立場や利益を優先したいと思う心や、或いは動物的な感情をいかに上手にコントロールが出来るのか、この付近が世渡りや人間関係に大きく左右するものです。純粋無垢では生きていけませんし、我侭放題でも摩擦の人生に成ってしまいます。人間社会の妙味もそんなところから滲み出てくるものかもしれません。もごころと自我、まごころ同士の鬩ぎ合いや葛藤の中で精進を重ね、どのように自己の確立をするか、世渡りをするかが私の命題でもあります。』難しいお題ですが精進を重ねる中であるべき姿に一歩でも近づける事は楽しい事です。