親切の匂い
親切の匂い親切の匂いなんてありませんよね。でも、親切な人の雰囲気ってありませんか。その人が持って生まれた、或いは会得したものかも知れませんが、そんな雰囲気を醸し出す人がいます。本人が出そうたって出せるものではないでしょうが、この人は親切な人なんだと太鼓判を押せる人がいます。笑顔だとか、身のこなしだとか、口調、目配り,人として何となく波長が合うなどもそうでしょうか。親の字は目が付いてますから進んで目をかけるの意味で切の字は刀で縦横に切りつけるの意味のようですが、物事の深さ、深刻さを表現しているようです。「より深く目を掛けてあげる」、そんな意味合いなんでしょうか。面倒見が良い事もそうでしょう、勇気を与える事でも、励ましの言葉もそうでしょうか、人生に役立つ事象や言葉を教えてあげる事、かけてあげる事も、衣食住のお世話もそうでしょう、物事の善悪や論理、一歩進んだ思いやりや痒いところに手が届く、そんなことも、回り道した細かい配慮、先回りして差し伸べてくれた手、・・・述べたらきりがありませんが一つでも得意とする親切技があるといいですね。魂胆が潜んでいるとすぐ分かってしまいますし、見破られた暁には人間性を疑われてしまうものです。聖書にも「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい」と。親切でも塩味のきいたものでなくてはいけないようですよ。それは親切を行う自分の心のあり方と、受ける側への配慮の事でしょう。時と場所、相手への心配りを考えましょうと言っておられるようです。『桶の水より、親切な言葉をかけるほうが、火はよく消える。 セルバンテス』