愛されることは幸福ではない。愛することこそ幸福だ。
ヘルマン・ヘッセの言葉。ヘッセは1877年ドイツ生まれの詩人、水彩画家。父はドイツ人プロテスタント宣教師、母はインド生まれの宣教師。その影響で神学校に入るが14歳で脱走、15,6歳で自殺未遂。初恋も成就することなく、結婚生活も性格の不一致から長く続かず離婚。現在歴史に残る叙情詩人として数々の詩、書物、水彩画を残す。「愛されることは幸福ではない。愛することこそ幸福だ。」私どもが日常的に生活していて家族や恋人から愛されている事はいわば受動的であり、当然愛される事が心地よく感じる事もあるが、時には愛される事がいやであったり、窮屈であったり、極端な時はそれから逃避する事もある。言葉を返すと愛される事は決して心満たされる事ではない。たとえば恋愛の時でも好きだとか愛してるとか、恋しいとかいわれること事態が嫌悪感を増幅させる事がある。逃げたくなる事が有る。したがって愛される事が全て幸せに結ぶつくわけではない。逆に愛する対象を持つ事は能動的に自分の気持ちの発露が存在するわけでそれだけを考えると愛する事の方がより幸せに近いことは確実である。愛する、恋する事の切なさや受け入れられない事の苦悩、もどかしさが伴う反面幸せ感を味わえるという事でしょうか。愛される相手の思いは上述の様である。その愛する気持ちが成就するかしないかはそれこそ愛するもの、愛されるものの相関関係で誰にも想像がつかない。ただ、愛する事と愛される事を現象的、相対的に比較すると愛する方が幸せに近いのは事実。そんな事を考えてくると愛する事、物、人が多いほど幸せに近いということか?。愛されるより愛することに努力をする人のほうがより早く深く広く幸せを享受出来るという事か?。さて、明日から何処に愛する対象を求めていこうか、幸せという鳥を求めて。