カテゴリ:読んだ本のこと
たしか荒川洋治だったか、トーマス・マンの『トーニオ・クレーガー』の訳書で、最近翻訳された平野卿子訳がすばらしいと紹介していたのを読み、あまり外国の文学は読まないのだが、触れてみたくなった。
ひと昔の外国文学の翻訳書をイメージすれば、それはお堅い岩波の文庫本で、カーバーは失われて、頁の隅が日焼けで褐色に変わり、画数の多い漢字がびっちりと並んだ黒々とした見るからに難しそうな日本語のかたまり。そういう翻訳ではなさそうなので惹かれた。言葉が時代とともに変わるのなら、翻訳書も時代時代で訳しなおされてしかるべきである。読み慣れていない人が読みやすい本を求めたときのために。 そして図書館の蔵書検索中に知ったのが、この本『三十一文字で詠むゲーテ』である。小説よりもこういう本に、どうも私は惹かれる。『トーニオ・クレーガー』よりも、こちらにまず手が伸びた。 見開き一頁で一首。右にやや大きな字で三十一文字。左に著者のコメント。コメントも数行で終わっているものも多く、全体的に白っぽい。 一文字あたりの値段で考えると割高である。(そういう見方するか!)でも、ゲーテの言葉の濃縮版だから、一文字の重みが違う。(それでフォローしたつもりか!) 『トーニオ・クレーガー』はまだ手元になく、どれぐらい読みやすいかは知らないが、この本は読みやすかった。ちょっと手のあいた時間に開く片手間な読み方で、二日もかからなかった。 読んで思ったことは、ゲーテの言葉と短歌の調べはあわないなということだ。つまりこの本の趣向を否定することになる。 真理を端的にとらえた直線的で一点集中的なゲーテの明察と、情感を多層的に曲線的になぞって含みを感じさせる三十一文字の表現。先入観も手伝ってか、この取り合わせの効果は見つけられなかった。ときどき目にするゲーテの警句そのままの方が、そこではたと本を置き、果てしない思索にふけることのよほど多くありそうで。 よかったことは、ゲーテその人の像が、こんな読みやすい本でつかめたことである。 人生・社会・知性・人間・女たち・芸術・老いと若さ。7章に分かれた視点から浮かびあがるゲーテ像は、文字数の少なさによらず立体的に映った。 歌の余韻が余白にこだまして、読み手を誘いこんでゆく。その先は、警句にうながされての自省の念の入口かと、本のタイトルから想像してしまうがそうではなく、一首一首を等身大で解釈できる安堵感の満ちた広場のようなところ。ゲーテは決して超人ではなく普通の人の延長線上にいるのだと、英知も明察もずっと地続きのところなのだと、そう諭してくれる。 ・・・という感想とは別に、私のこころにとまった歌。 公正であろうと腐心するばかり どこにあるのかあなたの自我は 束縛も喜びとする心情は 愛なくしてはありえぬものよ 愛もなく迷いもないという君は この世で何をするなぜ生きる 飛鳥新社:三十一文字で詠むゲーテ http://www.asukashinsha.co.jp/book/b109830.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.14 16:09:14
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