真面目な話
こんなことをblogに書くことは不謹慎であることは十分に分かっているんですが、書かないほうがいいかと考え、悩み、その上で自分の責任において書くことを決断して、この日の「自分の考えを文字に残しておきたい」と思いblogに書きます。いつもはふざけたり、ノリを大事にしている僕ですが、今回のblogだけは真面目に書かさせていただきます。ふざけたコメントや軽いノリは今回はなしということでお願いします。夜11時頃、同級生が亡くなりました。僕とは特別に親しい訳でもなく、一緒に遊んだりもしたりしてませんが、街で会えば普通に話をして、お祭りのときなんかはよく酒を飲んで話しをしたり、店の開店当初はみんなで飲みに来てくれたりしました。ずっと前から病気のことは幼なじみや同級の友達から聞いており心配はしていたんですが、たまたまコンビニで会ったときなんかも普通にあっちから話し掛けてきて、普通にくだらない話をして、もちろん僕も病気のことなんて聞けないし、あっちもそんなそぶりを見せないで、本当に普通にバイバイしたのが、今考えると最後の姿となってしまいました。最近の1番の思い出は、同級生の友達の結婚式の3次会をうちの店でやったとき、とても楽しかったんでしょうか酒の量もいい感じに入って、他の友達が帰る中で最後の最後まで飲んでいて、もう自分じゃ立てないぐらいに酔っ払って、最後は俺の隣りにちょこんと座り、たまたま俺の後輩が来て俺と話していたところに入ってきて一緒に飲んだ光景が、僕の頭に浮かんできました。女を感じさせない、1本芯が通った人で、祭りのときなんかは人一倍に「粋」で最高にかっこいい人でした。たぶん男だったらもっと仲良くなっていたでしょうし、今でも最高な仲間として遊んでいたことでしょう。ただ僕が悔しいのは、まだ若すぎる死ということです。病気が重いことも知っていたし大変な病気ということも知っていましたが、なんか現実味がなく今も「亡くなった」と言われても何だかよく分かりません。僕は何かで『人間は2度死ぬ』という言葉を聞き、その言葉は僕の人の「死」についての考えを大きく変えました。1回目の「死」というのは『生命の死』です。生命が絶たれ、もちろん一緒に遊んだり話したりもできないし、会うことさえできない。もちろん簡単には言葉にできないほどの悲しいことです。2回目の「死」というのは『魂の死』です。死んでしまった人間のことを家族・友達のすべて誰もが忘れてしまうことです。人間が生まれた以上、だれもが絶対に『生命の死』はやってくるし、大切な人であればあるほど、悲しさも大きいしツライことだけど、だからこそ大切な友達の「魂」を殺してはいけない。僕が専門学校時代に東京にいる頃に、高校時代にいつも毎朝一緒に登校して一緒に帰り、高校時代はかなり多くの時間一緒だった最大の友達が事故で亡くなりました。その当時は周りの友達の中で「KENTマイルド」のたばこを吸っていたのは俺とそいつだけだったんで、俺はそいつのことを絶対に一生忘れない為に今でも違う銘柄にタバコを変えることなく「KENTマイルド」を吸っています。これが僕が決めた大切な友達を忘れない方法です。自分が生きているうちは、死んでしまった友達のことを忘れないでいること。みんなが忘れないでいてあげれば、今日死んでしまった同級生も「魂」だけは生き続けられるから・・・意味不明な文章になってしまいましたが、ご冥福をお祈りいたします。