百塔の都、プラハ。
噂にたがわず、すごい街だった。まさに建築の野外博物館。二度の世界大戦でほとんど被害がなかったという幸運な歴史、その後東陣営に組み込まれ、たとえばウィーンが受けたような近代的な開発の洗礼から免れたという皮肉な歴史が、この街の景観を大規模な範囲で守った。
プラハ城の塔にのぼって見渡した街の全景。ブルタヴァ(モルダウ)河にかかったカレル橋も見える。ここはいつも人でいっぱいだ。
「ナポリを見て、死ね」とはよく聞く台詞だ。たしかにナポリもすごい。喧騒と静寂、とんでもない豪奢な贅沢と明日をもしれない貧困が背中合わせになっている。さまざまな国による支配の歴史、そしてそれがもたらした富の不均衡の帰結として存在する「あらゆる階層の人々」の生活。そういったものをすべて呑みこんで、ペスビオ山の麓に這いつくばるようにして広がる港町、ナポリ。だが、ナポリの魅力を寸時に理解するのは、難しいかもしれない。ナポリはある意味、「通の町」だ。
だが、プラハのすごさはほとんどの人に簡単に理解できるはず。ロマネスクからアール・ヌーボーまで、多彩な建築様式を一挙に目の当たりにできる幸運はプラハ散策の特権だ。その意味で、Mizumizuならばごく一般の人に対しては、ナポリよりもプラハを奨めるだろう。「プラハを見ずして死ぬなかれ」。そのぐらいプラハというところは、「街」そのものに対する感動が大きい。
もちろん、建築史の知識が多少あれば、楽しみはより深くなる。行く前にヨーロッパの建築史を多少なりとも勉強していくといい。楽しむためには知識も必要だ。
こちらはプラハ城内にある聖ヴィート大聖堂。ゴシック様式。内部にはアールヌーボーの旗手ミュシャ(ムハ)のステンドグラスがある。個人的にはこのステンドグラスはあまり好みではなかったけれど。
むしろ、聖堂外部のきらびやかな黄金のモザイクに心惹かれた。モザイクにはビザンチンの風を感じる。ビザンチン文化の本拠地であったはずのイスタンブールで、偶像破壊運動が起こり、ほとんどのモザイクの宗教画が失われてしまったことを考えると、なおさらヨーロッパに残されたモザイクが貴重に思えてくる。ヴィート大聖堂の南壁のこの「最後の審判」は、すべてがモザイク画ではないから、ラベンナやシチリアに残るモザイク作品とは質の面では比べようがないが、それでもモザイクの放つ複雑なキラメキの美しさは、直接日光に照らされることで、より強く見る者に訴えかけてくる。
屹立するゴシックの尖塔。すべてのディテールが天を目指すゴシック。
だが、プラハ城の王宮内には、また違った志向の美が控えている。