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韓国で行われた「メダリストオンアイス」をテレビで見た。「日本でやってください」と心から叫びたくなるような豪華メンバーがずらり。新旧の世界王者が勢ぞろいした感があった。 懐かしい顔を見たせいか、ジェフリー・バトルが相変わらずラインのきれいな素晴らしい演技を披露しているとき、ふとその場にいないスケーターのことが気になった。 先日「バレエ的演技」をご紹介したエマニュエル・サンデュ選手。カナダのシングルスケーターで、バトルとはライバル関係にあったといっていい。2種類の4回転ジャンプを(試合での確率は高いとはいえなかったかもしれないが)もち、バレエを基礎にしたダンサブルな演技で芸術面での評価も高かった。 バトルは3度カナダの国内選手権を制しているが、回数だったらサンデュも同じだ。世界選手権ではジャンプが不安定で5位が最高位とあまりパッとしないのだが、グランプリファイナルでは、あのプルシェンコを退けて(と言っても、それはプルシェンコがザヤックルールにひっかかり、連続ジャンプが1つキックアウトになってしまったためなのだが)優勝をした経験もある。 なにより、「面白いことをしてくれる」選手だった。ダンサーとしての身体能力が高いので、ポーズもびしっと決まり、動作にも無駄がない。難しいジャンプも跳べる。 「踊れる」「難しいジャンプが跳べる」という見地で言えば、まちがいなくバトルより能力は上だろう。 バトルの「音楽表現」が、なぜかフィギュア界で絶賛されるのには、少しばかり違和感がある。これは北米の選手に顕著な傾向なのだが、クリーンでシャープな滑りに加えて、旋律のちょっとした部分を捉えて動作を入れると、ほとんどそれだけで「音楽をよく表現している」ということになる。こうした北米流の表現力が昨今のフィギュアでやたらと過剰評価され、もっと本質的な意味で、非常に軽やかに、動的に、旋律にのって「踊れる」選手が必ずしも評価されない傾向があるように思うのだ。 鈴木明子選手などはその例だ。彼女は非常にダンサブルなスケーターで、かつ滑りや動作にも品がある。見ていて飽きない。「氷の上でのはつらつとした踊りを見たな」という気持ちにさせてくれるスケーターだ。 バトルやライザチェック、あるいはヴァーチュ&モイア組の音楽表現は、フィギュアスケートの「表現力」としては評価できるのかもしれないが、Mizumizuにはかなり物足りない。「身体をつかった表現芸術」として見ていると、ハッキリ言うとあまりに淡白すぎて途中で飽きる。 北米にはこのタイプの選手が多いのだが、サンデュはそのなかでは異色で、個性的なダンス表現のできる選手だった。だが、世界選手権やオリンピックで結果が出なかったのは、なんといってもジャンプの自爆グセを克服できなかったためだろう。 大技を入れる選手のはまる、「大技がなかなか決まらない」「決まっても別のジャンプを失敗する」というパターンから抜け出せないまま世界の舞台からいなくなった。 パーツはそれぞれ素晴らしいのに、それを統合しようとすると必ずどこかで穴があき、実績を作れなかったのだ。バトルが4回転を回避してすべてのジャンプをまとめ、ついに世界王者になったのに対し、サンデュは大技をほとんど常に入れつづけ、どこかで失敗しつづけ、世界選手権では台にものぼれなかった。それは、ジャンプが要求される時代だったから、ということももちろんある。 最後に出た世界選手権で惨敗したあと、サンデュはこんなことをしていたようだ。 http://www.youtube.com/watch?v=bu_-VkFBsME こちら↓になるとダンスはさらに進化。女性的な仕草を批判されたので、今度は最初から最後まで見事に男性的なイメージで踊りを統一している。 http://www.youtube.com/watch?v=VI7bIwQuM7w&feature=related 時折入るフィギュアスケート的なステップやクラシックバレエダンサー的なポーズが興味深い。本当に面白い人だなあ、エマニュエル・サンデュ・・・ この動画を見ると、サンデュがいかにダンサーとして基礎がしっかりできているかわかる。「氷上のダンサー」「氷上のアクター(アクトレス)」と言っても、それはほとんど常に、あくまで氷上でのことだ。陸にあがってこれだけの踊りを披露できるフィギュアスケーターは、決して多くない。というか・・・これだけのダンスはバレエの基礎がなければ不可能で、現役スケーターでここまできっちりそれを叩き込んだ人は、世界中探しても多分いない・・・と思う。 だが、それで・・・? フィギュアスケーターとして見たら、卓越した舞踏能力かもしれないが、「踊れる」人なら世の中にゴマンといる。氷の上では世界トップ5に入ったことのあるサンデュだが、27歳になって再び舞台ダンサーに戻ろうとしても、世界レベルというのは無理な話だろう。 サンデュのように才能があるのに、選手としてもプロとしてももうひとつ花開かない人を見ていると、なんともいえない気分になる。実際には、こういう人が世の中に多いだけになおさらだ。Mizumizuはゲイ大だったから、才能と社会的成功がかならずしも一致しないことは身近な例でいくらでも知っている。だが、ゲイ大のいいところは(今の学生はどうか知らないが)、社会的・経済的成功を世間一般の人ほど過剰に仰ぎ見ないことだ。だいたいみな、自分が一番で、自分を評価しない世間なんて、そっちのほうがバカだと思っている。こういう自惚れが、Mizumizuは大好きだ。 サンデュはアイスショーでダンサブルで個性的なプログラムを滑ったら、バトル以上のものを表現できる気がするのだが、フィギュアスケーターは現役時代の成績がものを言うし、それこそ人気は必ずしも才能に比例しない場合もある。日本にサンデュを呼んでくれる人もいなさそうだ。現役時代は、「サンデュは練習をあまりしない」などと解説者に言われていたし、人間関係を作るのもうまくないのかもしれない(それは往々にして幼いころエリート教育を受けた人に顕著な傾向だ)。 一方で、ジェフリー・バトルは日本でも人気がある。 浅田選手との縁も深いし、明るく礼儀正しく、品行方正な態度は、誰からも好かれる。演技も手を抜かず、いつもきちっとこなす。自国以外のアイスショーにもよく呼ばれる。 だが、Mizumizuは氷上の表現者としては、サンデュのほうがずっと面白い素材だと思っている。彼の名前は、日本ではすっかり忘れ去られてしまったようだ。カナダでは今は舞台ダンサーとして活躍しているのだろうか? ならいいのだが・・・ サンデュが少し後に生まれて、バンクーバーに向けての逸材としてカナダが国をあげて強化していたら、どんなだっただろうと思わなくもない。とにかく、パーツパーツの質は素晴らしかったのだから。 だが、これも人生かな、と思う。あちらとこちらの世界は、近いように見えて果てしなく遠い。
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最終更新日
2010.07.13 03:10:31
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