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文部科学省が指定する「マルチ・サポート事業」にフィギュアスケートが入ったという報道を読んだ。 陸上、フィギュアなどを新指定=マルチサポート事業で文科省 文部科学省は21日、五輪などで活躍が期待される競技・種目を重点支援する「マルチ・サポート事業」の対象に、陸上やフィギュアスケートなど7競技・種目を新規に指定したと発表した。 有望選手の多い競技を選抜して資金を投入し、オリンピックでのメダル量産を狙おうということだ。この方向性は正しいと思う。財政状況のよくないなかで、国民生活に直接何も関係ないスポーツ選手強化への予算を増やすなら、「勝てる」見込みのある選手に特化する。当然の話だ。 そして、そのなかにフィギュアスケートが入ったことも喜ばしいことだ。「メダルの獲れそうな競技を集中的に強化する」という指針は、マイナースポーツ競技の選手にとっては何もメリットがなく、逆にこうやって差別化されることで、強い競技はより強くなる可能性をもつが、弱い競技はもっと弱くなってしまうという懸念も当然あると思う。思うが、どんな競技にも万遍なく豊富な資金を投入できるわけもない。 誰かにお金を出してもらって高みを目指すなら、人より遥かに優れていなくてはならない。「他の人より優れている」では足りない。「遥かに」優れていなければいけないのだ。これはスポーツに限らず、どんな世界でも言えることだ。 フィギュアだって、さんざんマイナースポーツで、選手の親は子どもに競技生活を続けさせるために、身銭を切って苦労してきた。伊藤みどりの母は、西武の支援を受けて競技を続けることができた娘を事実上、手放している。アルベールビル・オリンピックでメダルを獲った娘に対面しようとして、あまりにたくさんの人が出迎えたためにそばにもいけない状態になったとき、「あの子はもう、私だけの子ではないから」と言って、遠くから多くの人の祝福を受けている伊藤みどりを見ている姿は印象的だった。 よほど卓越した才能がなければ、フィギュア競技を続けることなどできなかったのだ。日本フィギュア界の隆盛は、過去の優れた選手の苦難の集積の上にようやく花咲いたもの。今の日本は世界ジュニアチャンピオンが次々に出るので、日本トップならそれが当たり前のように錯覚してしまいそうになるが、こんな時代が来るなんて、ひと昔前までは信じられなかった。 だが、今のフィギュアスケートの状況を見ているファンは、「お金だけつぎ込んでも・・・」という懸念をもつのではないか。Mizumizuもその一人だ。 現在の日本のフィギュアスケートの隆盛は、選手やコーチの努力に加えて、優れた才能を早くから発掘しようとする日本スケート連盟の強化策が功を奏した結果であることは間違いない。 だが、それはあくまで国内での話だ。話が世界レベル、つまり多分に政治的な意味合いをもつルール策定や運用になってくると、また話は変わってくる。ISU内での「強い勢力」に巻かれて、不公平――というのが言いすぎなら――不合理なルールとジャッジングが暴走するのを止めもせず、あまつさえ後押しをする役割を演じてしまったのが日本スケート連盟ではないか。そうした疑念は、常に、ここ数年のルールとジャッジングを詳しく「監視」してきたファンの間にくすぶっている。 ざっと思いつくところから挙げてみても、「ダウングレードによる二重減点」。これが猛威を振るって安藤選手や浅田選手がどんどん点数を落としたとき、日本のスケート関係者の中で、はっきりと異を唱えたのは、日本人ではなく、ベラルーシ出身のニコライ・モロゾフだけだったではないか。「ほんの少しの回転不足が、(多くの場合)転倒より低い点になるのはおかしい」(ソニア・ビアンケッティ)という、ごくごく常識的なことさえ、ほとんど批判する人間はおらず、逆に、「ルールはルール。誰に対しても公平に適用されるのだから、選手のほうが対応するのが当然。それがイヤなら競技を去るべき」などと、このアホらしいルールの肩をもつ人間が出る始末。権力をもつ上層部から言われたことには唯々諾々と従う。従っている自分、さらに批判が起こったら「火消し役」になる自分の姿を、ことさら見せることで、お偉方からの点数を稼ごうとする。これではまるっきり、植民地の小役人だ。 選手がルールに対応するように努力するのは当然だ。日本選手は常に文句も言わずにそうしている。だが、非常識な話は、誰が考えたった非常識なのだ。だから、「二重減点」はあちこちから批判され、緩和されたではないか。「ダウングレード判定したあとに、必ずGOEはマイナスにしなければいけない」という二重減点ルールは、「GOEは各ジャッジの自由裁量にまかせる」という曖昧な形で批判をかわそうとした。この曖昧なルール変更は、さらに不合理なジャッジングに拍車をかけることになったのだが。 さらに言えば、ダングレード判定が「公平に」適用されていないことも、徐々に明らかになっていった。人間のやることに絶対はない。サッカーのW杯でも、今回ずいぶんと誤審が問題になったが、それはカメラを多数導入し、より客観的・多角的にジャッジングシーンを分析できるようになったことで、人間の目(たとえそれが高度な訓練を受けた人間の目であったとしても)にいかに間違いが多いかを隠せなくなってきたという事情もある。 では、フィギュアスケートのダウングレード判定(今季からは回転不足判定と名前が変わったが)は? 楕円形のリンクの上で、あちこちで跳ぶジャンプが「4分の1以上(あるいは以下)回転不足」かどうかなんてことを、たった3人のテクニカルパネルが正確に判定するなんてことが、物理的に可能だろうか? ある程度は可能だろう。回転不足のランディングというのは特徴的で、氷の上に降りてからブレードが「グリッ」と回った感じになるからだ。だが今は、そう見えないジャンプまでダウングレード判定されている。あるいは、明らかに回転不足に見えるジャンプがちゃんと認定されている(それも、ほとんど特定の選手だけだが)。 360度のうち何度の回転不足なんてことは、よほど高性能のカメラをリンクのあちこちに配置して分析でもしないかぎり、答えは出せない。誰もが「きれいに降りた」と思う浅田選手の3Aを、やたらとダウングレードされる今の現状は、まったくもって不合理きわまりないが、3Aを跳ぶ女子が彼女だけである以上、他の選手との比較もできないし、仮にミスジャッジングだとしても、「4分の1以下の回転不足だった」と証明する術もない(逆にジャッジングが正しいと証明する術もないのだ)。永遠の水掛け論。こうしたことはたとえば、野球の「ストライクか、ボールか」と言った判断でもあることだが、フィギュアの、それも女子で3回転以上のジャンプが認定されるか、回転不足判定されるかは、野球のストライク/ボール判定の比ではない重さがある。 <続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.07.26 23:10:52
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