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フィギュアスケート界で選手がコーチを替えるのはよくある話だ。そのこと自体は何も非難される行為ではないが、韓国メディアを巻きこんでの今回のキム・ヨナとブランアン・オーサーの「場外乱闘」は、まさに常軌を逸している。伝統的に品位を重んじるフィギュアスケート界において、これほどの泥仕合を演じた師弟など前代未聞だ。五輪女王というタイトルにまったくふさわしくない。日本選手には決して、この「悪例」の影響を受けないで欲しい。
8月27日付けの朝鮮日報 キム・ヨナ側『オーサー氏の行為は道徳的に逸脱している』の記事はショックですらあった。 http://www.chosunonline.com/news/20100828000003 オーサーが、キム・ヨナの許可なく新プログラムを「暴露」したのが、「指導者として道徳的に逸脱した行為であり、キム・ヨナに害を与えるための意図的な行動」だと言うのだ。 そのオーサーの発言はと言えば・・・ 「韓国の伝統曲『アリラン』をベースに、いくつかの韓国音楽を編集した幻想的なプログラムだ。(バンクーバー五輪フリーのプログラム)『へ調の協奏曲』を超える」 というもの。 これのどこが不道徳でキム・ヨナに害を与えるための意図的な行動だというのだろう? まったく理解に苦しむ。確かにコーチでなくなったオーサーが、選手に許可なく曲が「アリラン」だということを話したのは、キム・ヨナにとって不本意なことかもしれない。 だが、プログラムの曲がそれほどの機密事項だろうか? フィギュアスケート競技はあくまでアマチュア競技だ。プログラムの発表のタイミングなど本来たいして重要ではない。重要なのは、それが多くの人の胸を打つ素晴らしい作品か、何度も見るに値する「歴史的な」作品にまでトップ選手が仕上げていけるかだ。現にすでに世界中の多くの選手がプログラム曲を発表しているではないか。 しかも、オーサーの発言に悪意などまったく感じられない。「アリラン」だとは言っているが、「どんなふうに編曲したのか」については語っていないし、「幻想的」とイメージを膨らませるフレーズを入れつつ、昨シーズン以上の作品だと上手に話している。キム・ヨナの黄金期を作ったオーサー以上の説得力をもって、ファンの期待感を高める宣伝ができる人間がいるだろうか? Mizumizuもこの選曲は素晴らしいと思った。「見たい」という気持ちにさせられる。個人的に「アリラン」が大好きだというのもあるが、この極めてアジア的な旋律を、斬新かつ個性的な感覚をもつ振付師ウィルソンが氷上にどう構築するのかが楽しみなのだ。そして、「アリラン」をフィギュアスケートで表現するとしたら、キム・ヨナ以外にそれをできるスケーターはいないのではないか? かつて、ルー・チェン(陳露)は、曲に「ラストエンペラー」を使い、印象的な赤い衣装とともに、おおらかで繊細で東洋的で、誰にも真似できない振りで世界を魅了したが、キム・ヨナの「アリラン」はそれに匹敵する作品になりえるかもしれない。Mizumizuは、アン・リー監督の「ラスト、コーション」を見たときに、その東洋的な憂いを含んだメロディーをキム・ヨナに表現してもらいたいと思ってエントリーにそう書いたことがある。この映画音楽は選ばれることはなかったが、「アリラン」には同様の哀愁と、それでいてどこか大陸的なスケールがあると思う。 伝統的な朝鮮民謡をどう味付けするのか。それを待つ楽しみもある。 たとえばオーケストラで弾けば・・・ http://www.youtube.com/watch?v=fv4VxzaIzXo アジアの物語にヨーロッパの洗練が混ざる。 もっとアジアをイメージさせる楽器を使ってもいいかもしれない。ルー・チェン(陳露)の「ラストエンペラー」は、いかにも中国風の打楽器のリズムが印象的だった。 バンクーバーオリンピックシーズンのキム・ヨナのプログラムは、実につまらなかった。滑って、止まって、コケ脅しのようなポーズとちょっとした振り。滑りながらポーズ、そしてジャンプ。着氷が多少あやしくても、エレメンツでミスをしても、とにかく加点。しかもポーズは毎年毎年同じものの繰り返し。 体力に恵まれないキム選手がジャンプをすべて決めるために取った戦略だろうが、舞踏芸術のエッセンスをフィギュアに求める人間からすると、あまりにスカスカすぎる。カナダのパトリック・チャンやアメリカのエヴァン・ライザチェックも同様の傾向があるので、そうした演技がフィギュアスケートの表現として一概に悪いとは言わないが、どうしても物足りなさが残る。 「あげひばり」のころ、繊細な腕のモーションで、羽ばたく鳥を氷上に描き出し、世界を驚かせた少女は、だんだんにポーズの美しさばかりを強調するファッションモデルかグラビアアイドルのような、「インパクトはあるが、1度見れば十分」だと思うような、底の浅い表現ばかりするようなった。 バンクーバーオリンピックシーズンのキム・ヨナのプログラムは、見れば見るほどつまらなくなった。滑りは上手いし、体を大きく使ったモーションも美しいのだが、とにかくエレメンツ以外の振付が最低限で、躍動感がない。それなのに、点ばかり上がっていくからさらに白ける。そうやってメッキを塗り重ねるから、トリノ世界選手権でそれが一挙に剥がれてしまったのだ。 もう1つ、キム・ヨナ選手の欠点は、ジャンプで失敗すると、その「失意」が次のエレメントに影響しやすいということだ。ジャンプが決まれば気持ちがのって演技全体がよくなるというのはすべての選手に共通しているが、ジャンプを失敗したときにどう立て直すのか、そこも選手としての成熟度の見どころなのだ。 モロゾフは、「安藤美姫は以前はジャンプを失敗すると他の演技が悪くなった。今はジャンプを失敗すると返って演技がよくなる」という意味のことを言ったが、そのとおりだと思う。キム選手の場合は、ジャンプが決まれば全体がきれいに流れる。だが、1度失敗して、自分の目指す「完璧な演技」ができないとなると、その後の動きが悪くなる。これが一番気になる点だ。 プログラムの発表のタイミングにそこまでこだわるのは、「最近のキム・ヨナのプログラムはインパクトが命であって、賞味期限が短い」と感じたMizumizuのネガティブなイメージを肯定することになる。そうではなくて、歴史を超えて歌いつがれる民謡同様、何度見ても味わいが深くなるような演技をしてほしいと切に願う。「キム・ヨナ嫌い」の人も「キム・ヨナファン」にする・・・そういう演技をすればいいのであって、プログラム曲の発表のタイミングなど、ハッキリ言えばどうでもいいことだ。 もちろん、選手本人の許可を得ずに元コーチが勝手に曲を発表するのは好ましいことではない。だからと言って、「指導者として道徳的に逸脱した行為であり、キム・ヨナに害を与えるための意図的な行動」とまで責め立てるのは、明らかに行きすぎだし、この文言を見ると、まるで最近韓国が国を挙げて非難を始めた北朝鮮の声明のようだ。 つい3ヶ月前まで、「深い信頼関係で結ばれている」とまで評価した自慢のコーチを、もはやそれほど信用できないというのか。本来この件には何も関係がない浅田真央を「他の選手のオファー説でギクシャク」「いち選手だけが原因ではない」などという不明瞭な表現で巻き込んだことといい、こうした言動を取れば取るほど、日本でのキム・ヨナの評判は落ちていく。 オーサーがキム・ヨナに与えたものは非常に大きい。膝をしっかりと使った、グウッと伸びるスケーティング。体を大きく見せるモーション。脚の振り上げ方から下ろし方。キム・ヨナのスケートを見ていると、若き日のブライアン・オーサーが氷上に再び蘇ったかのように錯覚することもあった。それだけキム・ヨナが真剣に練習をしたということでもあるが、元コーチが与えてくれたものを考えれば、「プログラムを許可なく発表した」ことくらい、許せる範囲ではないのか。キム・ヨナが韓国の至宝なら、オーサーはカナダの英雄なのだ。 さらに、「オーサー氏がキム・ヨナの練習に関連する機密事項をさらに公表した場合、マネジメント社の次元で対応する」などと脅迫している。「練習に関する秘密」というのは、邪推すれば最近ジャンプの調子がよくないということかもしれない。漏れ聞こえてくる情報では、3回転+3回転が上手く跳べずにいるという。だが、五輪のあとで忙しく、練習の時間が取れなかったことを考えれば、このシーズンにジャンプが不調に陥るのはよくあることだ。「練習に関連する機密事項」など大げさすぎる。 オーサーの「浅田真央オファー説」での二枚舌とも取れる発言には、Mizumizuも心底呆れたし、浅田真央の事務所が、早めに英語で正式見解を世界発信すべきだと思っている。シカゴ・トリビューンや韓国紙を読んでも、「浅田真央の事務所が照会してきた」というオーサーの証言がほぼ既成事実になっている。それが事実でないなら、そう言うべきだ。こういうことは選手を矢面に立たせてはいけない。放っておけばどこかでまた必ず蒸し返される。 日本で浅田真央の事務所が、「一切接触はない」と言っているのに、まだ韓国紙は以下のように伝えているのだ。 同氏(オーサー)は今年4月、浅田側からのオファー説が報じられた際、「トリノ世界選手権大会で、浅田のマネジメント社からコーチ就任のオファーを受けたが、公式なものではなかった」と釈明している。 だが、それらすべてにかかわらず、この1件だけをもって、オーサーの人格を根本から否定するような発言をする権利は、キム・ヨナ本人を含めて誰にもないと思う。 オマケ: http://www.youtube.com/watch?v=MzUzMOdtqNg こちらがルー・チェンの最高傑作「ラストエンペラー」。東洋と西洋を氷上で融合させることのできた数少ない選手。 プログラム最初の腕の動き(まるで長い布を振り回しているよう。見えない布が見えるようだ)や独特な脚の組み方のスピン。音楽が切りかわったところ(3:15あたり)での京劇を思わせる振付。最後にまるで疾走するようにスピードを増す、ダイナミックなスケーティング。 本当はNHK杯のときのほうが、後半の3ルッツも決まって出来がよかったように記憶しているのだが、探せなかった。 ちなみに、キス&クライで、技術点が出たとき、微妙に「チッ」と不満げな顔をするところなども、キム・ヨナに性格が似ているかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.09.03 11:27:15
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