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グランプリシリーズなど、もはや熱心に見ているのは日本のファンぐらいではないだろうか? 莫大な放映権料を払うから、日本人選手には是非とも活躍してもらわなければならない。視聴率が欲しいから、テレビ局はこれでもかというぐらい盛り上げる。 グランプリシリーズで若手の日本人がいい点をもらっても、他の有力日本人選手と一緒に出場するワールドや五輪になると、あ~ら不思議、点が伸びない。急に回転不足が増えたり、演技構成点が伸びなかったり。かつての織田選手、小塚選手、最近では村上佳菜子選手。みんな同じパターンではないか。しかも、何年も同じことを繰り返している。 例外は、「ISU指定強化選手」に入れる、ごくわずかな選手のみ。しかも、それは純粋な選手個人の才能だけではなく、コーチの名前や大きな大会の開催地によって決まる。このつまらない出来レースに付き合わされるファンも、たいがいアホらしくなっているはずだ。 キム選手はソチ五輪に向けて、グランプリシリーズに背を向け、年間の試合を極力絞る作戦で来た。彼女は数年かけて、自分にあった試合数を計っていた感がある。さすがにワールド1回では、調整がうまくいかなかったと見るや、国際大会への出場をほんの少し増やした。五輪直前のグランプリシリーズを欠場したのは、表向きは怪我のためだが、あの程度の怪我だったら、日本選手なら出場を強要されて、それがまた美談のサイドストーリーになっていただろう(そして、肝心の五輪を最悪のコンディションで闘うハメになるというオチ)。 ソチ前のチャン選手は、「フィギュアの選手組合ができたら入りたいよ。ISUは僕らでいったいいくら儲けてるの?」などとブーたれながらも、ちゃんとシーズン通して試合に参戦し、その結果、日本選手同様、本来の彼には程遠いボロボロの出来で、ほぼ手にしていた金メダルを逃した。 あれほどまでにチャン選手が心理的に追い詰められたのは、これまでミスをしても勝たせてくれていたジャッジが、急に羽生選手の「肩」を持ち始めたからだろう。チャン選手というのは、非常にクレバーな人だし、またいかにも中国人らしい率直さももっている。自分の状態や他の選手に対する評価を自分の言葉で明確に語る。 グランプリファイナルで羽生選手に負けたときに、彼の自信の崩壊が始まった。おそらく、あの敗北は、チャン選手にとって予想外で、本音を言えば受け入れがたいものだったのかもしれない。五輪前のインタビューで、チャン選手は、羽生結弦はいつも自分の肩に重くのしかかる「悪魔のような存在」だと述べている(多くの日本人にとっては天使にしか見えないと思うが・笑)。 さんざんミスをしても勝ってきた彼が、五輪を目の前にして、「自分が完璧な演技をしても負けるかもしれない」選手に遭ってしまったのだ。あの羽生選手のトンデモなジャンプ構成。もし、ジャンプだけの選手だけなら、演技構成点で差をつけられるから勝てる。だが、羽生選手に対しては、ジャッジは演技構成点も高く出すようになってきた。 カナダのチャン選手にとっては「敵地」と言っていいロシア。そこで勝つためには、曖昧な「表現力」だとか「スケーティングスキル」だけでは無理。誰にも文句を言わせないような高難度のジャンプを跳ばなければ。チャン選手はそれをわかっていた。だから、4回転をショートにも入れ、フリーでは2回跳ぶという、文句なしのジャンプ構成を組み、かつ(ここが彼の偉大な部分だが)、ジャンプの完成度もこれ以上ないというくらい高めてきた。 実際、ソチのチャン選手のフリー冒頭の4回転+3回転は、高さ・幅ともに異次元の素晴らしさ。五輪史上もっとも素晴らしい連続ジャンプとさえ言えるかもしれない。王者にふさわしい高難度連続ジャンプを決めながら、次のちょっとした躓きが、どんどん連鎖していった。 それでも、「あと数年は世界トップクラスでいられるだろうと思う」と自ら語るチャン選手。今シーズン彼がグランプリシリーズを欠場するのは、正しい選択だ。もう実績は十分にあり、かつベテランの域に達して、怪我が心配な彼が、「過酷なサバイバルレース」などに乗っかる必要はないのだ。 先のオープンフィギュアを見ると、4回転ジャンプこそ1回に抑えたが、彼の高い「滑りの技巧」を最大限生かすプログラムを作ってきている。ピタッと止まって体をひねりながらポーズを入れ、そのあと滑り出して、もうすぐにスピードに乗っている。スピードをまったく落とさず、安定した滑りのまま体を上下に大きく使う。あんなことができるのは、世界広しと言えどもチャン選手ぐらいだろう。 演技構成点も高く出たから、ますます彼にとってグランプリシリーズなど、もはや無用の長物だろう。キム選手同様、ワールドには出てきて、タイトルを目指すほうが得策。日本ではグランプリファイナルのタイトルをことさら喧伝しているが、やはりフィギュアスケーターにとって大事なのは、五輪の金メダル。次はワールドのタイトルなのだ。 五輪のタイトルは確かに商業的な利益を選手にもたらすが、五輪はあくまで4年に1度。選手生命の短いフィギュアスケートでは、運も多分に作用する。長い目で見ると、五輪の金メダルより、ワールドのタイトルを積み重ねた選手のほうが尊敬されるという傾向も出てきている。カナダのカート・ブラウニングやアメリカのミシェル・クワンは、どちらも五輪では勝てなかったが、いまだに母国では破格の扱いだ。 若い選手が世界に名を売るためには、グランプリシリーズには出る必要がある。だが、いったん評価が定まったら、たいした意味はなくなる。フィギュアスケートでは20歳を超えてきたら、もう若手ではなくなるし、体力的にもシーズンとおしてフルに闘うのはきつくなってくる。そういう選手には、グランプリシリーズは負担なのだ。 高橋選手が肝心なときに怪我をしてしまったのも、年齢のわりにはハードな試合数をこなしてきたせいもあるだろう。彼ほどの選手なら、別にグランプリシリーズでアピールしなくても、ジャッジは高い演技構成点を出してくれる。実際、五輪での高橋選手の演技構成点は、あのジャンプの出来にしては破格だった。ショートの点は、「4回転ジャンプやめたら銅メダルは君のものだよ」と言わんばかり。もちろん、高橋選手はあくまで自力で金メダルを獲るジャンプ構成で来ることはわかっていたが。 理想を言えば、彼こそキム・ヨナ選手のように、試合数をできる限り制限しながら、大舞台だけに照準を定めて調整させるべき選手だった。だが、そんなことをしたら、選手層の厚い日本では、「高橋だけ特別扱いか」などと言われてしまう。高橋選手に出てもらわなければ、視聴率は取れないし、チケットも売れない。日本では五輪切符を得るためのグランプリシリーズの重みは他国とは比較にならないから、選手は息つく暇もない。 そして、五輪では皆、力尽きている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.10.31 11:50:41
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