テーマ:ひとり言・・?(17621)
カテゴリ: 藻緯羅の放談
「フクシマ」と、カタカナで表記すれば、
福島第1原発被災事故を指すようになった。 この事故は、このサイトの記事↓によれば、 eco.nikkeibp...20110928 100%予見可能な事故であったという。 もっとも、 藻緯羅は、この記事の筆者の考え方には、 批判的である。 柏崎原発の被災事故を想起するならば、 藻緯羅でも、思い描ける事態である。 にも関わらず、 事故後のドタバタにも見える様子からは、 事故は予見したが、 その後の措置については「無」であった。 そのように思えてならない。 なぜ? 「無」だったのか? それは、起きていない事態でも、 緊急時における「心理」と同じ? それほど、 考えたくない事態だった??? それでも、 現在は、なんとか鎮めている。 「火事場の...」が、 脳にも働くのであろうか? その後、明らかにされる情報でも、 運が悪かったというより、 運が良かったと思えるものが多い。 藻緯羅は、このまま、 廃炉過程に入ることを祈るのみである。 といっても、 その過程すら、未開発と言っていい状況。 未だ、 原子力発電所とは、そういう存在である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.10.13 18:50:31
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