テーマ:ひとり言・・?(17621)
カテゴリ: 藻緯羅の放談
7月21日の参議院選挙後に、
国会の「ねじれ」は解消する? 世論調査の結果はYESだが... 国会の「ねじれ」を産んでいるのは、 二院制である、二つあるから捩じれる! 確かに、そうであるが... だから、一院制が望ましい ということにはならない。 一院制であれば、 「ねじれ」が生じないだけである。 「ねじれ」解消で、 国難が解消されるわけではない。 この「ねじれ」を、産んだのは、 選挙制度的には、小選挙区制である。 元の中選挙区制に戻せば、「ねじれ」も戻る。 参議院が、第2衆議院化したのは、 個人が看板の「全国区」を廃止して、 政党が看板の「比例代表制」にしたからである。 元の全国区に戻せば、 個人の見識を重視する参議院の存在価値が高まる。 「日本」には、欧米流の政治制度は馴染まない。 2大政党制では、 対立を避けて多様な価値観を並立させるのが難しい。 「日本」の持つ多様さは、 民族の思考様式を示す、言語や文字が示している。 欧米は、ローマ字だけしか使わないが、 日本は、漢字から、平仮名と片仮名を考案して、 さらには、ローマ字も含めて、思考を表記する。 言語にしても、 「猫」一つで、多様な「猫」を表現してしまう。 ある時は、「猫」という全体を示すが... ある時は、「猫」は、自分が飼っているネコを示す。 「おかあさん、ネコがいなくなった!」と言えば、 その「猫」は、飼っている1匹の猫である。 この「あいまいさ」が、日本民族の特性である。 それゆえ、 二大政党制は、「日本」には向かないのである。 藻緯羅は、 何か対立軸があればと考えた時期もあったが、 一時的な対立軸は考え得ても、 恒久的な対立軸には、思い至らなかった。 例えば、 「最少不幸社会」と「最大多数の最大幸福」を、 対立軸にできそうに思うが、 各政党の時々の主張を思い浮かべると、 あることでは、「最少不幸社会」 別のあることでは、「最大多数の最大幸福」 となっていて、「ねじれ」ている。 因みに、 ベンサムの「最大多数の最大幸福」の原語は、 the greatest happiness of the greatest number なのだが、 the greatest numberのgreatestは、「最大」だが、 the greatest happinessのgreatestの訳語は、 「最大」で正しいのだろうか? もっと適切な訳語があるような気がするのだが... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.07.19 07:36:43
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