カテゴリ:おでかけ
wikiによると、審神者(さにわ)とは、古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者のことである。後には祭祀の際に琴を弾く者を指すようにもなった。
「さにわ」(歴史的仮名遣いでは「さには」)は、元は「清庭」(さやにわ)の意味で、神を祭り神託を受けるために忌み清めた庭(場所)のことを指したとする説[誰?]が有力である。 『古事記』の仲哀天皇の段に、天皇が琴を弾き、武内宿禰が沙庭(さにわ)に居て神の命を請うたという記述がある。ここで沙庭は場所の意味であるが、宿禰が審神者を務めたということになる。その後の記述では、神が神功皇后に乗り移り、神託を述べている。『日本書紀』の神功皇后9年(209年)3月には、皇后が自ら神主となり、宿禰に琴を弾かせ、中臣氏の祖と伝えられる中臣烏賊津使主を審神者としたと記されており[1]、福岡県久山町の審神者神社が祭神として中臣烏賊津使主を祀っている。(引用ここまで) ということで、霊能者の中でも位の高い人しかできない特殊な人を指していたのだけれど、最近ではゲームの中でプレーヤー自身を指す言葉にも使われるようになり・・・・その影響もあってよく見かけるようになった言葉の一つだ。 実はこの神社、福岡県福岡市の東にある。日本書紀にでてくる中臣烏賊津使主が祭られているお社らしい。 ちょっと興味を魅かれてお参りに行ってみた。 住所は福岡県粕屋郡久山町山田660-1となっているので、地図では・・・下記の赤い印のところのはずなのだけど・・・。 こんな感じで、道から少し入ったところにあるようだ…が行ってみると全然影も形も見えない。 仕方がないので、裏側の細い道に入ってみる。モロに田んぼのなかに突っ込んでいく感じだ。 立て看板が立っていて、確かに「審神者神社」と書いてある。 その向こう、地図のあたりを眺めると一応鳥居が見えている。 ということは、どこかに参道があるはずで、どこかにお社があるはずで・・・ということでもう一度大きな通りにもどって、角のところが公民館であったのでもしかしたら神社の敷地内に公民館があるのかもしれない・・・と思って、横からそっと覗いてみる。地図が正しければ、横から眺める形になるはずだ。 よーくよく眺めると何となくこんもりと木が茂っているように見える。 他に道もなさそうなので、また立て看板のところに戻って、看板の横の細い路地を鳥居に向かって歩いてみた。 本当に人、一人通れるかどうか位の細い道を行く。水路と田んぼの中の道だ。 鳥居のところまでくると、小さなお社が見えた。鳥居はとっても新しいけど、お社のほうはとっても年季が入っている。 なんとなく、鳥居の内側に入ってはいけないような気持ちがしたので、鳥居の外からお参りをしてきた。 何というか、隣の建物はどう見ても個人のお家のようだった。 立て看板によると、このお社と相対するように、もう一つお社があったそうで、その社と社の間には家を建ててはいけないといわれていたそうだ。 そしてそれは今でも守られているんだそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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