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テーマ:心の病(7246)
カテゴリ:健康
子供の頃、父の怒りの発端になるのはいつも私だった。結婚して旦那の爆発の元に
なるのはいつも私だった。そんな私を見て学校の先生が「あなたは放電線なのよね」と 言って来た。私が大地に接続されるアースの役目?でも雷ぐらいの激しい放電は本当に 私のからだを2~3日もしびれさせるから決してよいものではない。 マッサージをすると疲れるでしょ?人の痛みを背負っちゃうもんね。 よく言われます。でも決してそんな事はないのです。 私はまるで空洞のパイプのようにそこに居て,私を通してエネルギーが流れ込みそれは まるで滝のように止めどなく流れ続けるから私は全く大丈夫。 私のエネルギーを使っているわけではないのです。私は私のからだを全く空け渡し 一切の判断を止めます。私は鏡のようにそこに居て 相手の状態を映し出すだけ。 そして人は自分でも気づいてなかった痛みのある事を認識する。 自分を満タンにしていると感じない。なぜならそこに流れ込む余地がないから。 でもそこに隙間を作って行くと流れ込みます。 癒す前に癒されなくては行けないのは そういう事から来ているのでしょう。 水は高い所から低い所へと流れ出し地中深くしみ込んで行きます。 私たちが水のように生きていけるなら苦しみもやがては浄化されて行くでしょう。 水は戦わずして征服して行きます。素晴らしい事ですね。 人が海に思いを寄せるのは私たちが魚だったから。母親の胎内に誕生した生命はまるで 魚のような形をしている。生命の深さを感じます。 心の痛みは気付くためのきっかけ。決して痛みにだけ引きずられては行けない。 痛みはやがて変化して痛みではなくなる。じーっと見つめる事。 そしてあなたは大丈夫だった事に気付くはず。揺れずにそこで待つ事。 嵐が通り過ぎるのを待つように。そしてそれはそんなに長くはないはず。 晴れの日も雨の日もただ笑顔で静かに変化を見つめられれば そこには永遠に変わらぬ ものが見えてくるはず。それは自分がそこに生きている事。 特別である必要はなく 有名にも金持ちにもならなくても,かといって貧乏にならなくても そこには命ある自分の存在が見えてくるはず。誰かに所有される事なく、所有する事もなく そこには生命がある事を。呼吸をする。肩に肺におなかに腿にいっぱいの空気を吸って 体中に流してやる。大地に繋がり空を仰ぎ私たちは機械から生まれて来たのではなく この広がる自然の中で生まれた事をもう一度思い出してみよう。 そこには堂々とそして静かに脈打つ生命という存在があります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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