「子育てと教育はマニュアル化できません」
最初に群馬で10月から始まるワークの告知をさせて頂きます。お申し込みも、以下のサイトから出来るみたいです。今回は「表現する」ということをテーマにします、もちろん気質の話しもします。「自分らしく生きる」ということは、自分を表現しないことには絶対に実現しないのです。「どのような子育てをするのか」ということもまた自己表現です。周囲を見て、周囲に合わせ、みんなと同じように子育てをすることばかりに一生懸命になっている人は「自分」を生きていない人です。篠先生の親の土台を育てるワークSeason2Event by ゆずり葉学舎 and 村西 有希 on 木曜日, 10月 24 2024******************子育てには正解がありません。ですからマニュアル化も出来ません。だって、その対象となる子どもが一人一人違っているのですから。「似た子」はいますが「同じ子」は絶対にいないのです。また、親もまた一人一人違います。ということは親子の関係も「子どもと親の組み合わせ」ごとに異なるということです。それはつまり、Aさんが自分の長男にやって上手く行った方法を、Bさんが自分の子に真似てやってみても「同じ結果」になるかどうかは不明だということです。逆にAさんがやって失敗した方法で上手く行くことだってあります。またAさんが長男に対して上手く行った方法を兄弟の他の子にやっても上手く行くとは限りません。同じ親に育てられた兄弟たちでも、みんな一人一人感じ方も、考え方も、心やからだの状態も異なるからです。そんなこと「みんなが知っている当たり前」のことのはずなのに、なぜか多くの人が子育てや教育にマニュアルを求めるのです。いっぱいマニュアルを調べて、それを「自分と我が子にあった方法を考え出すヒント」にするのならいいのですが、それを「正解」だと思い込んでしまうと困ったことが起きてしまうのです。その方法を自分の頭で考えた人は上手く行ったとしても、それを真似しただけの人はほとんどの場合上手く行かないのです。コピーにはオリジナルと同じ力がないからです。自分の力でオリジナルを創り出した人にはそれだけの土台があったのです。でも、結果だけを見て真似した人にはその土台がないのです。科学では「再現性」ということが重要視されます。「誰がやっても、同じ材料と環境をそろえ、同じ手順で同じことを行えば同じ結果が出ます」ということが科学では重要なんです。でもこれは「自分の意思」を持たないものに対してしか有効ではないのです。だから、自分の意志を持った子どもが30人いるクラスで、先生が同じことを同じように教えても、「子どもが学んだ内容」、「学びの深さ」は30人みんな違うのです。一生懸命に先生の話を聞く子もいれば、友達とのおしゃべりに夢中で全く聞いていない子もいます。同じように一生懸命に聞いた子でも、自分の趣味や興味や感覚に合わせて聞いているので、先生の話から吸収した中身は違います。それは何人かで一緒に森に行って同じような体験をしても、一人一人感じたこと、気付いたこと、学んだことが違うのと同じです。そんなこと、「日常的に誰でも体験している当たり前のこと」のはずなのに、なぜかみんな、その「当たり前」のことを無視して、「一人一人の子どもに合わせた子育てや教育の方法」を工夫しようとしないのです。それなのに、上手く行かないと「子どものせい」にします。でもそれが、「子どもという存在の特性」「人間という存在の特性」であるのなら、その特性を無視して上手く行かないのは親や先生のせいなんです。子どものせいではないのです。多くの大人が、思った通りに子どもが行動しなかったり、勉強しなかったり、しつけや教育がうまく進まないとそれを子どものせいにするのです。また、多くの大人が「子どもは生まれつき大人が教えなくても学び、追い立てなくても色々なことを学ぼうとする強い意思」を持っているということを知りません。そして大人の指示や命令に従わせ、しつけや勉強を押し付けています。でもその結果、子ども達が本能として持っていた「学びに対する意欲や意志」が萎えて行ってしまうのです。そして、大人の予想通りに「大人が追い立てないと行動しない子」に育っていきます。<続きます>