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カテゴリ:現場や社会で、ぶつぶつと・・・
朝、テレビで、都議会で邦画に日本語字幕を付けるという議題が話し合われたと言っていた。
聴覚障害の方が楽しめるように。 ジブリ映画等のDVDをジュリゴン家が持っていて、一緒に見る時、「なんで字幕のところに日本語なんてあるんやろ?」と思っていた。 なるほどである。 人間、自分事でないと、ピンと来ない。 以前にも、携帯電話を自分に向けて手話で話してる人を見た時、 「ああ、こんな風に使えるのか」と感心した事があったけど、 五体満足に生まれた者にとって、当たり前の情報伝達が、 どれだけ大変な事なのか、中々想像がつかない。 二十数年前、幼稚園のPTAの講演会だったか、障害者教育を長い間続けてこられた方の話を聞いた中で、「皆さん、目・耳・言葉、どれが使えないのが一番いやですか? 今、全部使えている人は視覚を失うのが不便だと思う人が多いが、実は、耳、聴覚障害が一番人を孤独にさせる」と話しておられたのを覚えている。 むかーし、田舎の丹波に毎年夏休みに行ってた頃、隣りに今で思うと聴覚障害のおばさんがいはった。従兄弟たちや近所の子供達が、半分恐がったりからかったりしていたように覚えている。 ある日、そのおばさんが家に来た時、その時は家に誰もいなくて、多分5・6歳だった私は、そのおばさんを恐がったりしたら、イケナイ気がしてじっと立っていると、おばさんがにっこり笑ってぎゅぅーーっと抱っこした。 半分『このままどっかへ連れて行かれたらどうしよ』なんて不安もあったけど、おばさんは嬉しそうに私を抱っこして、土間から縁側へ連れて行っただけだった。 何を言ってるのか解らなかったし、何と返事をしたら良いのかわからなくて黙って抱かれていただけやったけど、痛いぐらいギュッと抱かれたその感触は今も思い出す。 その頃の大人達の話の断片から、近所のタブーのようにされていたその人の孤独を あのぎこちない骨ばった抱擁から受け取ったかもしれない。 その後、おばさんに抱っこされた事は、なんとなく大人に話したらいかん気がして、ずーっと黙っていた。何年も経ってから「あの隣りのおばさんは?」と聞くと、「ああ、何年か前に、裏の線路で汽車に撥ねられて死にはった。音が聞こえんからな」と言われた。 ショックだったけど、それもまた、大人には気取られてはならない秘密として、私の中に仕舞われてしまった。 そのおばさんが生きていた時代に比べると、都議会で映画を楽しむ為の話し合いがなされるなんて、凄い意識の進歩だと思う。 そういう象徴的な出来事があるとは言え、一人ひとりの心はそれに見合う進歩を遂げているのだろうか。 身近で 普通と言われるのと違う容姿や動きの人と出会った時、いつもと変わらぬ態度と笑顔を保てるだろうか。 おばさんの孤独は、私の中でどう成長してるだろう。 いつも、いつの瞬間も、自分の信念を試されている気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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