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カテゴリ:ときたま自分事
パソコンは瀕死やけど、
私自身はぼちぼち順調、と思う。 昨日は、新しい生徒さんがレッスンにいらした。 孫の七五三に行った。 先週は、出雲へ神在月のお参りに行けた。 出雲に行くのに、お客さんが家へ前泊されたので、 (これでも)必死に掃除した。 多少は、きれいになって、孫に褒められた。(^_^;) 近頃、いろんな情報が来る。 大きな大きな変り目が来てるらしい。 私の周りでも個人的に生活を変えた人は多い。 私も含めて 個人の変化は、個人で引き受けるしかないけど、 TPPやら、ギリシヤ発の経済の流れやら、 関西では、大阪発の地方都市議論やら、 自分達が生きる社会の仕組みも変わっていく最中にいるのかな。 前月末頃、私の恩人とも言える友達が 悩みを抱えていた。 霊的な能力の高い人、 そういう人ほど普通と言われる生活を送るのは難しい。 つい、深読みしたり不要な事までやってしまう、らしい。 彼女にも大きな変り目が来ている。 そんな話を、出雲へ向かう道中、師匠と話した。 ヒーリングやらスピリチュアルと言われるこの業界では、 その人の能力で評価されがち。 「あの人は〇〇が出来る」「〇〇が見える」だから、凄いって。 でも、師匠は言う、 どういう姿勢で取り組んでいるかが一番問題やって。 たまに、同じ様な姿勢でいる人と巡り会うと 違う業界の人でも、「あぁ、間違いない」と思うんやと。 前出の友人と夜っぴて話して、感じたのは 「やらされている感」と自分の決断との違い。 大きな宇宙や自然の計らいの中で 生かされている人生やとしても その時々に、自分がそれを選んだという意識は失ってはいけない。 と、私は思う。 無知な自分のちっぽけな決断に、意地で責任取ってきた以前の私。 今は、 大きな計らいに畏怖の念を持って謙虚でいたいと思う。 そう思う瞬間を たくさん一緒に過ごしてきたと思っていた大切な友達。 そしてたくさんの違いも感じさせてくれる大好きな人。 師匠の言うように一番の違いは 人生に対する姿勢かもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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