福山文学合評会に出席
5月16日、福山市で開催された「ふくやま文学」36号合評会に出席しました。前回出席したのは31号の時。私にとっては5年ぶりの合評会です。強風で瀬戸内海では連絡船が運行中止になるなど、思いがけない事情で当日欠席を余儀なくされた人もおられましたが、久しぶりの面々と再会でき、楽しい時間を持つことができました。たった一つ残念だったのは、元主宰の中山茅集子先生とお会いできなかったこと。元気な顔をお見せしたかったです。さて、私の作品は、初めて本誌のラストに置いていただいた「狼の女房」(作品番号80番)。時代設定が江戸初期と、これまでの「ふくやま文学」では異色な作品となったため、どうかと心配していたのですが、意外とすんなり受け入れてもらえました。書いた私は「歴史小説」のつもりでしたが、ほとんどの方が「時代小説」として読んで下さり、山本周五郎や藤沢周平といったとんでもない大御所を引き合いに感想を伝えて下さる方もおられて、恐れ入るの何の。もうなんだかすみませんという気持ちになりました。「36号を知人にお渡しする時ね、『狼の女房』をお読みなさい、と勧めて渡したんですよ」そうおっしゃって下さった方もおられ、これも感激でした。この作品。前にも述べましたが、私なりの佐々木小次郎を描きたいという気持ちから執筆したものです。佐々木小次郎を描くとなると、ライバルの宮本武蔵も描かなければなりません。この作品の中での宮本武蔵は、筋肉が盛り上がって首が見えないほどの筋肉オバケであるということに加えて、 左利きという設定にしてます。実は武蔵が左利きじゃないかと私に言ったのは、いうさんでした。武蔵の遺した絵を模写したところ、とても描きやすかったというんです。いうさんも左利きですから、そのせいではないかと。なるほど、鵙の絵も、布袋さんも、鷺も、画面の右に向いているものが多いんですね(鵜の絵は左に向いてますけど)。右利きの私が鳥の絵を描くと、嘴は左に向けてしまう。線を左から右に流す方が楽だからです。武蔵の絵は線が右から左。だからいうさんには模写しやすかったというんですね。また、「まだこの時代に昆布の佃煮はありませんよ」と、おそるべき博識から指摘して下さった方もおられました。それは盲点だった! ほんと、恐れ入りました。文学の集まりって、やっぱり楽しいです。職場の仲間にはたいへんな迷惑をかけてしまいましたが、無理やり有休をとってよかったと思いました。明日は罪滅ぼしに、しっかり働きます。