血と涙で書かれた遺産
平頂山事件(へいちょうざんじけん)とは、1932年9月16日、現在の中国遼寧省北部において、撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊(井上小隊)が、楊柏堡村付近の平頂山集落の多くの住民を虐殺した事件。虐殺された人数については、400 - 800人(田辺敏雄による説)から3,000人(中国説)までの諸説があるが、虐殺事件の存在自体に異議を唱える論者は存在しない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%A0%82%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6重慶爆撃(じゅうけいばくげき)とは、日中戦争最中の1938年12月4日より1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃を指す[1]。中国側の資料では死者は計11,800人、家屋の損壊は17,600棟となっている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%85%B6%E7%88%86%E6%92%83731部隊(ななさんいちぶたい)とは大日本帝国陸軍の関東軍防疫給水部本部の事。関東軍管轄区域内の防疫・給水業務を行うことを目的に設置された。細菌・化学戦研究の為に生体解剖などを行ったとされている。初代部隊長の石井四郎(1892年 - 1959年、陸軍軍医中将)に因んで石井部隊とも呼ばれる。http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A遼寧省撫順市にある平頂山虐殺事件遺跡記念館が2年以上の修繕と増改築工事を経て、虐殺記念日の9月16日に新たに開放された。 増改築後の遺跡館つまり遺骨池は、元の1120平方メートルから2137平方メートルに拡大された。旧日本軍は75年前の9月16日、老人、女性、子供を含む無防備な一般市民3千人以上を平頂山の麓に追い込んで集団大虐殺を繰り広げ、また死体を焼くという驚愕の「平頂山虐殺事件」を引き起こした。 「人民網日本語版」2007年9月17日 http://j.people.com.cn/2007/09/17/jp20070917_76921.html【撫順】平頂山虐殺事件70周年追悼式に日本人400人が参加 遼寧省撫順平頂山で発生した平頂山虐殺事件は、9月16日で70周年を迎える。日本人400人余りの追悼訪中団を含む国内外からの数千人の賓客が平頂山で開かれる追悼式に出席する。 1932年9月15日、撫順を占領していた旧日本軍は平頂山を通過する中国抗日武装の打撃を受けた。報復するために、翌日、旧日本軍は撫順独立守備隊と憲兵隊を出動させて3000人あまりの村民、石炭鉱山の労働者及びその家族を平頂山の麓まで騙して連行し、無残に虐殺した。旧日本軍は、住民を皆殺しにした罪証を隠ぺいするため、ガソリンで死体を燃やして土の中に埋めた。500世帯余りが住んでいた800軒余りの家屋が焼き壊され、山村が平地にされた。 「人民網日本語版」2002年9月9日 http://j.people.com.cn/2002/09/09/jp20020909_21110.htmlこういった歴史を広瀬隆の「持丸長者」で読む。戦前の日本と現代の中国は似てるかと思う。中国共産党による不当な占領、言論弾圧、強制収容所に於ける拷問、民族浄化という名の大虐殺。戦前の日本の2千万人を超すアジアへの人々の虐殺。一党独裁と軍部の暴走と警察の腐敗。中国共産党による自国民殺戮は、1949年から1987年までで3500万を超す。6000万人ほどの自国民を虐殺したと言われるソ連。ソビエトと中国の雛形がナチスドイツと日本。ともに一党独裁の警察国家による恐怖政治を敷いた。日本と中国は戦争被害は訴えても自らの国の加害性を認めず。様々な日本軍による戦争被害を記念館を建て宣伝する中国共産党。歴史を直視できない日本。自国の歴史を正当化し歪曲する世界的な風潮。戦争の中心にある金儲けという問題。産業革命、近代化、植民地主義、資本の集中、格差の拡大・・・・殺され搾取され続ける民衆。金を儲け兵器と権力を手に民衆を迫害する人々は幸福だろうか?決して幸福ではあるまい・・・・・アフガニスタン,コンゴ民主共和国,スーダンだけでも最近20年の間に約500万人が命を失い、バルカン諸国では民族紛争のために25万人近い人々の命が奪われ,コロンビアで長く続くゲリラ戦は10万人の死者を出す。ここ最近の10年間に200万人以上の子どもたちが内戦で命を落とし、600万人が負傷している。兵士になる子どもたちの数も増える。ある国の子供は語る。「ぼくは訓練されたんだ。銃もくれた。麻薬もやったよ。普通の人をいっぱい殺した。戦争だったし……。命令どおりにやっただけなんだ。悪いのは分かってた。やりたくてやったんじゃないよ。」こういった事象の根源にある権力欲と金銭欲とこれらを維持するための閨閥。広瀬隆の調査能力と慧眼には脱帽する。侵略戦争が経済戦争となり間接的に富を奪えるようになりこれをグローバル化と呼び、途上国へは援助と称して多額の返済不能の借金をさせることで支配し、農業ではモンサントの種を売りつけることで支配する・・・自己顕示欲や支配欲や金銭欲に突き動かされ。人類史はそのまま欲望史であり、殺人史でもある。被害と加害の間にさほどの差異も無く、被害者が加害者になり加害者が被害者になりという国家の歴史が続く。格差の問題を眺めても今日の貧乏人が明日の富豪になり・・・富める一族の命脈は、せいぜい数百年だ。奢る平家は久しからずやって奴です。こういった様々な殺戮の歴史の上で日本国憲法第9条は築かれ、人類の血と涙で書かれた遺産かと思う。日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 (-∧-)合掌・・・平頂山事件とは何だったのか天皇の軍隊と平頂山事件持丸長者(国家狂乱篇)