年金の行方
第2章 郵政民営化と日本の金融システム社会保険庁――薬害エイズ――年金に潜む人脈 年金を担当して批判を浴びているのは、厚生労働省の社会保険庁である。84年8月から85年8月まで年金を支配する社会保険庁長官をつとめた持永和見は、その前に81年8月から83年8月まで、つまりエイズ研究班発足時の薬務局長として薬害エイズの重大な責任を問われた人物である。のち薬害エイズの犯罪を問われて有罪となったミドリ十字の松下廉蔵社長から献金を受けて自民党の衆議院議員となり、堂々と大蔵政務次官として年金財政まで動かしてきた。持永の後を継いで85年8月から86年6月まで社会保険庁長官をつとめた正木馨もまた、83年8月から84年8月まで厚生省薬務局長として薬害エイズで問題になった男である。薬害エイズを生み出した業界団体として大きな批判を浴びた日本血液製剤協会の理事長・加藤信太郎は、厚生省社会保険審査会委員長・社会保険大学校長の履歴を持つ。まだまだ山のようにある。ここに大手血液製剤メーカーと社会保険庁の関係を加えると、大量の人脈が年金と薬害エイズに二股をかけているのだ。 日本のメディアはまったくこうした事実にふれない。度重なる薬害を生み出した厚生労働省の体質が、国民の年金の切り捨てを平然と進めてきた政策の土台に潜んでいるという重大な事実を忘れてはなるまい。この集団がこれから大幅増税によって不公平な年金支払いをなんとか取り繕おうとしている。 だが待て。増税のトリックとは何か。現在の政治家が仕組む手法の落とし穴は、国民に嘘をついて別の名目で税収を創作し、納税者と受益者が無関係な予算を組むところにある。問題は、日本の国家予算の赤字にあるのだ。その赤字を埋めるのに、福祉など聞こえのいい言葉を使うとメディアと国民が簡単にだまされるからである。代表的なのがたばこの増税である。旧国鉄債務を返済できなくなってたばこの大幅増税を進めてきたが、JRの駅はどこも禁煙だらけにしている。禁煙地帯を広げながら、喫煙を奨励してたくさんの税金を取らなければ借金を返済できないというのでは、禁煙と喫煙の一体どちらを望んでいるのかと、たばこ嫌いの人まで説明に苦しんでいる。赤字を取り繕っては偽の目的税を生み出してきた政治の嘘の成れの果てである。とりわけ年金では、すでに容れ物が破綻して、国民が身構えているのだから嘘は通らない。 日本では、国民がこのまま手をこまねいて見ていれば、借金の穴埋めに政府が次々と国民から金をしぼりとる「隠れ増税」政策が打ち出されることは百パーセント分かっているのである。黙っている日本の国民は、お人好しを通り越して、ただの間抜け集団になったとでも言うのか。これほどの政府を批判しないエコノミストたちに、市場原理などという言葉を口にする資格はない。国民の無駄な負担は、これから一銭でも食い止めなければならない。一体、日本政府はどれほどの借金をかかえているのか。またその借金を返済する当てがどこにあるのか、それを国民は知っておく必要がある。日本のゆくえアジアのゆくえ 広瀬 隆著よりこういった詐術的な国家運営は今に始まったことでは無いだろう。名も無き庶民の奴隷的な労働により近代が作り上げられたことを考えれば、現代のほうがマシだと思う人が多い。現代とは、何か?と考えていけば、奴隷を奴隷と気づかせず、隷属状態に置き続けるシステムであろうかと愚考する。「現在の政治家が仕組む手法の落とし穴は、国民に嘘をついて別の名目で税収を創作し、納税者と受益者が無関係な予算を組むところにある。問題は、日本の国家予算の赤字にあるのだ。その赤字を埋めるのに、福祉など聞こえのいい言葉を使うとメディアと国民が簡単にだまされるからである。代表的なのがたばこの増税である。旧国鉄債務を返済できなくなってたばこの大幅増税を進めてきたが、JRの駅はどこも禁煙だらけにしている。」と広瀬隆の喝破するとおりかと思う。公的資金=税金。消えた年金=官僚などが浪費して使ってしまった年金。これらをまたぞろ消費税や所得税という税金の引き上げによって賄おうとしている。そして、二人の元厚生事務次官宅が殺され「テロ」だと騒いでいるこの国の姿は末期的だと思う。誰がテロリストか犯罪者か?というならば、少数の官僚のトップと税金や年金を用いた利権と引き換えに天下り先を提供する大企業と政治家かと思うし、これらをスポンサーとする大手マスコミと電通などであろうし、汚れた仕事を引き受ける暴力団かと思う。こういった、事情に日本もアメリカも違いが無い。ほぼ似たようなシステムで運営されている。犯罪の温床はどこだろうか?と考えるともにThat all Men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among there are Life, Liberty, and the Pursuit of happiness人は生まれながらにして平等であり、神より生命・自由・幸福の追求という侵しがたい権利を与えられている1776年7月4日の独立宣言に盛り込まれたトーマスジェファーソンの生命・自由の尊重・幸福の追求という思想は、我が国の憲法第十三条にも明記してあります。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」憲法から言えば公共の福祉に反しているのは一体誰だろうか?ということでもあります。年金の行方は、尽きるところ我々の意識改革によっていかようにもなるのだと思います。エーリッヒ・フロムは、その著書『自由からの逃走』でナチズム・日本軍国主義が台頭していた時代の中で、孤独と無力感にさいなまれた人々が、他者との関係、指導者との関係を求めて全体主義を信奉することになると喝破しておりました。現代という時代もまたそんな匂いがプンプンとするのであります。(-∧-)合掌・・・日本のゆくえアジアのゆくえ自由からの逃走