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カテゴリ:NOVEL
雪融けに消えたのは
「うーん」 唸り声を上げて目を覚ます僕に、枕元の時計が「寝坊だ」と囁いた。 今日は一限から授業があった。例え遅刻になるとしても大学へ行くべきなのは分かっているけれど、昼を跨ごうとしている今の時間を教えられて急速に行く気が失せてしまった。だから「いつも真面目に通っているんだし、たまには良いや」と、妙な理屈を捏ねて学校をサボることにした。 のっそりとベッドから降り、肩を落としたまま、朝食を作りに台所へ向かう。途中で居間を横切る時、その隅に縮こまるテレビの電源を点けた。ニュースキャスターが芸能人のゴシップを面白おかしく喋り立てている。それを視認する頃には、居間に隣接した台所に到着していた。冷蔵庫を開けると、冷たい風が僕の頬を撫でていく。目を皿のようにしてその中を覗き込んだが、食材は全くと言って良い程無かった。仕方ないので、夕べコンビニで買った物の残りを電子レンジに放り投げた。 一ヶ月前の僕は、こんな風に放浪者のような無気力な生活を送ってはいなかった。理由は分かっている。その頃の僕には彼女が居たからだ。とても真面目で気立ての良い、葵が。 オレンジ色の光に満ち満ちた電子レンジの中で、残り物がグルグルと回る。それをじっと見つめながら、「もし彼女がこんな僕を見たら、慌ててフライパンを取り出して目玉焼きを作るんだろうな」と、ぼんやり思った。 だけど彼女は何処にも居ない。居ないんだ、何処にも。 渇いた部屋に、電子レンジの「チーン」という音だけが響き渡った。レンジの取っ手を引っ張って中にそろりと手を伸ばすと、人工的な温かさを持った器が冷え切った僕の手に触れた。物理的な温かさが僕の手を温めてくれる。 だけど、器が僕を温めれば温める程、葵のくれる、心にまで染み渡るようなあの温もりには絶対に敵わないことを思い知らされた。それはとても悲しく、寂しく、遣る瀬の無いことだった。 夏の終わりに出会った葵は、雪の降る季節にこの世を去った。「春になったら結婚しよう」と誓い合った翌日に、ダンプカーに踏み潰されたのだ。 コンロの隣にある窓から外を眺める。陽光を受けた雪がキラキラと光り輝いていた。あれは僕と葵が迎える筈だった未来の色だ。 雪融けの季節が来れば、あの雪の輝きは幻と化すだろう。まるで、僕達が愛し合っていた事実なんて初めから無かったとでも言うかのように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.09 21:48:01
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