最高の授業DVD
アメリカ映画は今、自然でさり気ない、アクターズ・スタジオ的演技が主流になっている。いかに観客が俳優に自分の姿を重ね合わせられるか、いかに観客が物語に集中し、映画的「ウソ」の世界に沈没するか、そのために映画俳優は、自分を殺さなければならない。下手な演技は、観客をわれに返らせ、現実の世界に引き戻す。アメリカ映画界の男優は、ハリソン・フォードとか、トム・ハンクスとか、マッド・デイモン、ケビン・スペイシーとか、決して美男ではないが、自然な演技ができる役者が主役を張っている。かつて映画の主役は美男美女と相場が決まっていた。ゲイリー・クーパーやイングリッド・バーグマンが全盛期のハリウッドに、ラッセル・クロウやレニー・ゼルウィガーが乗り込んでも、「おまえみたいなブサイク、何しに来たの?」と相手にされないだろう。いまやアメリカ映画界では、オーバーアクションはもとより、素晴らしすぎるルックスすら、物語の進行の邪魔として敬遠される傾向がある。アメリカに限らず日本の映画界ドラマ界も、美女はとにかく、絵に描いたような美男が主演の座から、少しずつ遠のきつつある。だからこそ、草なぎ君がドラマの主役として、もてはやされるのだろう。ただ視聴者が、そんな業界の美男美女敬遠志向を歓迎しているとは限らない。だからこそ、古典的なハンサムを惜しげもなくテレビドラマに投入してくる、韓流ドラマがブームになった。年配の女性は、美男に飢えていたのだ。さて、「自分を殺す、さり気ない演技」と聞いて、退屈な演技を想像される方も多いだろうが、決してそうではない。自分を殺す、さり気ない演技の大成功例は、「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドの演技である。貫禄たっぷりで、愛情と残酷さを同時に高いレベルで兼ね備えているマフィアのドンを、マーロン・ブランドは決して大きな声を張り上げたりせず、キレたりもせず、観客が聞き取れるギリギリの、ささやくような声で演じている。演技のさり気なさがマフィアのドンのリアルな実体感を醸し出し、自分を殺せば殺すほどマーロン・ブランドの無気味な狂気が際立つ。超ハイレベルな演技だ。実は、キムタクのつぶやくような演技も、実はマーロン・ブランドの「自分を殺す、さり気ない演技」の延長線上にある。ところで、塾講師のDVDはどうだろうか?オーバーアクションの講義が嫌われるからといって、逆に自分を殺しに殺して、授業を淡々と進めたら、ショボイDVDしかできない。塾講師のDVDを買ってみたら、学校で日常やってるような普通の授業が映っている。それなら世の講師は「これだったら俺でも私でもできる、金返せ!」と憤慨するし、子供は「学校と同じジャン」と落胆する。DVDを売り物にするなら、ある程度のケレン味は必要だ。自分をアピールしすぎて演劇的なナルシストに堕ちてはならぬ。また逆に淡々としすぎて平凡な商品として成り立たぬものを売ってはならぬ。そこらあたりのバランスが難しい。ところで、最近私が見た、最高の教育映像がある。これは昭和35年前の物価と、現在の物価を比較した、社会科の講義を収録したものである。Ryoさんに紹介していただいた。講師の魅力、ユーモアや語り口、すべてにおいて私の趣味に合っている。演技もさり気ないし、自分を殺している。でも十分おかしい。私が授業DVDを作るなら、こういう路線のものを作りたい(無理だけど)授業をDVDにするなら、これくらいの才気を見せたい。