夜の高速道路で交通量調査
夜の高速道路は哀しい。俺が大学を出てフラフラしている時期、僅かな糧になっていたのは交通量調査のバイトだった。高速道路の交通量調査を週に2回くらいやっていた。深夜0時、飯田橋SP研集合。その後6~7人乗りのマイクロバスで各方面に散らばる。遠ければ東名高速で浜松、常磐道で勿来、東北道で白河、いろんなところへ行かされる。調査は大抵、朝7時から翌日の朝7時まで24時間。給料は2万2000円~2万4000円。交通量調査は楽な仕事と言われるが退屈だ。 朝7時に調査を開始するとき、次の日の朝のちょうど今頃まで単調にカウンターを押さなけれなならないのかと思うと、途方もない時間の長さにうんざりする。俺は真面目に律儀にカウンターを押しつづける。手を抜く奴もいるが、手を抜けば時間は逆に長く感じるものだ。カウンターを押している最中、退屈を紛らわすために、俺は頭の中で映画のシナリオを書いていた。妄想で長く退屈な時間を埋めようと努めた。頭の中でシナリオを書いていると、時々自分にしては会心のギャグが浮かんでくる。自分のギャグに思わず笑う。隣の調査員が不気味な奴だという顔で俺を見る。2時間働いて1時間休憩。休憩といってもSAなので何もない。SAの休憩所で座りながら眠ろうとするが、なぜか興奮して眠れない。裏道から高速道路の下に降りてみる。高速道路は辺鄙な場所にあるので、降りてみると田んぼの一本道であることが多い。春にはくっきりと蛙の声が響き渡っている。冬の高速道路の交通量調査は寒い。冬の夜道の本当の寒さを知っている人は、意外と少ないのではなかろうか。歩いているだけでは、冬の夜道の真の寒さに気づかない。歩くと体温が上がるから、寒さもしのぎやすくなる。交通量調査はじっと座り続けなければならない。パイプイスに座って夜の寒気に晒される。体の熱はマイナス5度の寒気によって奪われる。寒い・・・時折立ってジャンプする。ジャンプで身体に熱を貯める。しかしその熱は3分しかもたない。ありったけの服を用意し、毛糸の帽子をかぶり、白い軍手を身につけ、靴下を3足履き、ダルマのような格好でカウンターを押す。ポケットにホカロンを入れる。帽子にも、軍手にも、靴底の中にすら入れる。まわりの交通量調査の常連達も着膨れし、みんな太って見える。その上に段ボールをまとう。段ボールは最高の防寒着である。ホームレスの人達がダンボールで寒さをしのぐのも理解できる。熱い缶コーヒーのお世話にもなる。食べると眠くなるので食べない。外からは段ボール、内側からは熱い缶コーヒー。外から中から防寒両面作戦。これでも寒いが、まだ耐えられる。一度、冬の関越自動車道で調査したことがある。群馬県と新潟県の国境のSA。トラックが寒気と雪を乱暴に俺に投げつける。眠くなる、眠くなる。眠ったら死ぬぞ! まるで映画の「八甲田山」みたいだった。そんな時はシベリアで強制労働させられた日本兵の苦労を想像する。彼らはこれの何百万倍つらかったんだぞ。朝日が昇る午前5時。仕事ももうすぐ終わりだ。空が白々と明け始める。しかし、太陽が昇り始める時間が気温が一番低い。寒い冬の朝の太陽は冷たい。まるで火星の太陽みたいな凍った光線を投げつける。夜の東名高速は薄気味悪さがある。なぜだか、死と隣り合わせの世界、という感じがする。東名は交通量が異常に多い。日本の大動脈東名高速。オレンジのライトに照らされた道を、大型トラックが轟音を立てる。刑務所の塀のように高い薄汚れた防音壁に轟音が反射し、不気味な響きがあたりを包む。俺の1m前を殺人兵器のような大型トラックが寸断なく通り過ぎる。無神経に俺の顔を照らすトラックの強いヘッドライト、荷台でゴロゴロと無気味に音を立てる木材。巨大なタイヤが唸りをあげる。時々トラックに吸い込まれそうになる。踏み潰されそうになる。一瞬俺を轢いてくれないかと願う。楽に殺してくれないかと思う。深夜バスも頻繁に通る。バスの客はカーテンを閉めて眠っている。深夜1時、東京から俺の故郷へと向かう深夜バスが通り過ぎる。そしてふと、トラックが全く通らない空白の時間がある。不思議な時間。カウンターを押していた手が止まる。静寂が醸し出す寂寥感。孤独というありきたりの言葉似合う。静寂も束の間。遠くから微かに1台のトラックが蚊の羽音のような小さな鋭い音を立ててやってくる。そしてそれは徐々に暴力的な音に変わり、俺の目の前に・・・また1台、また1台トラックが。再び騒音の嵐がやってくる。