中田英寿は本当に凄いの?
私にはサッカー選手の凄さが、よくわからない。もちろん「サッカー選手なんて、ぜんぜん大したことねえよ」という意味ではない。私はサッカー音痴なので、サッカーの試合中継を眺めていても、誰が上手で誰が下手なのか全然区別できずに、どの選手も同じ力量に見えるという意味で言ってるのだ。サッカーで私のような素人でも見分けられるのは、飛びぬけて超人的な凄い選手と、ド下手な選手の両極端な2種類だけだ。たとえばGK川口の神がかり的なセーブや、マラドーナの5人抜きの凄みはどんな素人にもわかる。極論だが、たとえば中田・宮本といった日本代表の中に、ホンジャマカの石塚や、松村邦洋が日本代表の一人として登場していたら、「あの選手デブで足が遅くてスタミナがないわねえ」と私にも一発で下手糞であることがわかる。ところで、中田英寿は凄い選手だと巷で言われる。しかし私はサッカーに疎いので、悲しいことに中田が他の選手に比べてどこが優れているのか、「肉眼」ではわからない。テレビ中継でサッカーゲームみたいに緑の芝生の上で駆け回る選手の姿が俯瞰で映っているのを見て、「あの7番の動きはいいね」と格好つけて言い切る自信など全くない。私は人が中田のプレイを凄いと言っているから凄いと思っているのであって、自分の目で中田が凄いと判別したわけではないのだ。さて、皆さんは私と違って、サッカーの試合だけを判断材料にして、中田の技量の高さが理解できるのだろうか? おそらくサッカーを観戦している人の8割ぐらいは、中田の技量レベルについて、何もわかっていないんじゃないかと思う。中田は個性的な選手だと言うけれど、プレーではなくファッションや言動という枝葉的な部分で中田の個性を感じている人の方が遙かに多いと確信する。マスコミが中田のプレイは抜きん出ていると報じているから、「ああ、中田は凄いんだなあ」と我々が思っているに過ぎないんじゃないか。サッカーに関しては、マスコミの報道を鵜呑みにしてしまう。「自分の目」を持たないから、マスコミの言辞に1から10まで振り回されるのだ。マスコミの記者ですら、全員が中田のサッカーの技量における凄味を理解しているのかどうか疑わしい。マスコミがプレーを正当に理解してくれず、頓珍漢で的外れの質問ばかり繰り返し、プレーではなく私生活や人間関係という枝葉の部分だけ膨らませた無責任な報道ばかりするから、中田も頭に来てマスコミと冷戦状態になるのではないか。とにかく日本では、テレビの視聴者もマスコミも、サッカーの技量の良し悪しについては、よくわかっていない。中田だけでなくジダンに関してもそうだ。ジダンのどこが凄いのか、なぜ世界的ヒーローなのか、本当に理解している人は少ないだろう。Wikipediaではジダンを、次のように礼賛している。「パス、ドリブル、トラップといったボールを扱うテクニックは超一級品で、ボールコントロールに関しては歴代の名選手の中でも別格。 185cmの恵まれた体格の上体を生かして懐深くボールをキープ、両足を巧みに使いながら複数の相手DFをかわし、抜群の視野の広さを持って前線へ正確なパスを送るプレーが彼の真骨頂。 まるで踊っているかのような優雅なボールキープで試合を支配する様は「マエストロ」(攻撃のタクトを振るう意味で)と評される。 ジダンの周りだけ 違う時間が流れている様に見える独特のボールタッチや、殆ど倒れそうな状態からでも正確なパスを送る事のできるバランス感覚など、同じ人間とは思えないほどのプレーをすることから、宇宙人とのニックネームもつけられた。 世界的スターが集まった2000年代前半のレアル・マドリーでも、彼の存在感は際立っており、多くの評論家・解説者が『ジダンのプレーは次元が違う』『彼は別の惑星から来た選手なのか』とため息を漏らしていた。」しかし目が節穴な私には、ジダンのプレーからジダンの技量の素晴らしさを鑑賞する眼力がない。ジダンの蹴る走るというプレイ中の一連行動から、彼がマエストロであり宇宙人であるという評価を下すことなどできない。サッカーのプレイは門外漢にはわかりにくい。私に唯一理解できたジダンの行動は、あの頭突きだけである。さて、サッカーに比べて、野球の方が選手の技量については判断しやすい。野球は打率や防御率などの成績が数字で表れるからだ。選手の能力がシビアに数値化される。松井やイチローのバッティングセンスも、松坂大輔の豪腕ぶりも、新聞に掲載される打率や防御率を足がかりにしてわかる。逆にサッカーは、FWの能力こそゴール数で推し量ることができるが、ディフェンダーの能力は数値化できない。数値という客観的な判断材料がサッカーにはない。その分野球に比べてサッカーは観戦する側には「難しい」スポーツと言える。サッカーにも選手の力量を数値化する「偏差値」が欲しい、と思う。サッカーのプレーは、わけのわからない名画に似ている。歴史的に名画という評価が下されているから、権威に追従して私は「この絵は素晴らしい」とわかった振りをしているに過ぎない。10000枚の絵画があって、予備知識なしで「モナリザが最高」と言い切れる自信は私には全然ない。サッカーに関しても絵画にしても私は門外漢だ。門外漢だから目は節穴だ。節穴の目にマスコミの論調や批評家の講釈といった先入観を詰め込まれたら、「自分の目」など持てない。視界は霞むし視点は揺れるし視座はぐらつく。