カテゴリ:世間・時事
悠々さんのこの時の日記からすると2週間弱も遅れているが、とりあえずウチも。
そうそう、それでそのエコバッグ、アニヤ・ハインドマーチのやつ。 私はてっきりまた「日本でだけ」騒がれているのかと思っていたら、やっぱりそこそこイギリスでもわーきゃー言って買っている人がいたらしい。 それに気づいたのがついこの数日前。 自分ではそんなものを見たこともなかったし、日本の新聞記事だけを見て、やれやれ・・・と思っていたら一応こっちでもちょっとは流行っていたという事実を知ってビックリ。 日本の皆様、ご注意下さい。 ほら、よく夜中にやってる通販の宣伝の番組あるでしょ。 マジックブレットだとかスリムリフトだとかさ、ガイジンがたくさん出てきて英語でべらべらしゃべっているものに吹き替えつけて「あら、ほんとぉ?すごいわねぇ、私も買っちゃおうかしら」とかやってるやつですよ。 ああいう宣伝で「世界で大人気!」「すでにヨーロッパでは●千個完売!」とかってよく言ってるんだけど、たいがいの場合がウソですわ。 そんなんホントに流行ってたら、こっちでも見るもん。 見たことないもん。 実はああいうCMが結構好きで(爆)日本に帰ると夜中までよく見てて、中には実際に食指を動かされるものがあるのも確か。 それで今度は同じ商品名を英語のサイトで調べてみるんだけど(もしかするとそっちのほうが安いかなと思って)情報なんてほとんどないのよ、これが。 だから、あの夜中のTVショッピング系の「世界中で爆発的ヒット」はあまり信じないほうがいいよ えーと話がそれたがアニヤ・ハインドマーチの「I'm not a plastic」バッグ。 持っている人がいたら怒られてしまうのだが、こんなん、ホントにいいですか? 並んで買いたい? 2100円でしたっけ、日本で? てか、だいたい皆さん、アニヤ・ハインドマーチって前から知ってました? 私は知ってはいましたが最初から自分のテイストではないので(とはいえBespoke Eburyのシリーズはかっちりしているし流行に左右されない形なのでちょっとはいいなと思ったけど)興味はありませんでした。 が、今、このエコバッグがほしい~~~っていう人に純粋に聞いてみたいのだが、このエコバッグのモノがすごくいいからほしいのか、みんな持っているからほしいのか、以前からアニヤのファンでこれもほしいのか、どのあたりがいちばん実際に近いところなんだろうか。 ちなみに「みんな持っているからほしい」という発想はいい加減やめたらどうかという気がすごくするのだが、すでにみんな持っているもの(だけど、売る方の戦略で、販売数を絞ってみたり期限を切ってみたりするんだよね・・・なんだかそれがいやらしいじゃん・・・で、それに乗っかって騒ぐっていうのもよく考えたらおもしろくないじゃん)をさらに自分も持ったってしかたないと思うんだけどなぁ。 こうして、ただのエコバッグ一つでこれだけ人々のボルテージが上がること自体、本来のエコからは対極にあるように感じるのだがどうだろう。 中には「こうしてエコバッグ一つで大ヒットが出ることで、みんなのエコに対する意識が覚醒できる、よりアピールできる」という論調でしゃべってはばからない人もいるようだが、果たしてそうなのだろうか。 そんなブランドのエコバッグ一つをありがたがって(買うならさ、そこのブランドでたっかーいヤツ買ってみようよ)行列作ったりしないでさ、家にあるおばちゃんバッグ(なんというか、よく昔あった500円とかの折りたたみのナイロンバッグみたいなやつとか)とか、ヒマを持て余しているお茶っぴきバッグや風呂敷を登場させて再利用することのほうがよっぽど本来の意味に適っているのではないかと私は思うんだが。 世の中にケンカを売るようだが、ちなみに私は今のところエコバッグというものを買って持っておこうとは少しも思っていない。 だいたい形がよくないし使いにくいし、私が買うものがそこにすべて収まらないからだ。 一人ひとりが意識すれば、という考え方もその通りだと思うが、世の中の再生品はまだまだコストがかかって高すぎる。 エコのための経費がかかり過ぎて高くなった再生品をわざわざ買って環境に寄与する、というには気持ちが割り切れない部分がある。 その上、戦後、経済や工業が発展した結果、モノの大量生産・新しい発明・改良という流れで現代に至り、すでに世の中は24時間365日、ないモノはない状態になっているわけだ。 もちろん、そのことの恩恵を受けてみんな生活しているわけではあるが、そこの部分にどうも足元を見られている気がしてしゃーない。 排気ガスやプラスティックその他の要因で「地球が危ない」と誰がいつ頃言い出したのかは私やよくしらないが、生産している企業側の回収責任がいったいどこまで追いついているのだろうか。 生産・回収の責任をさておき、ゴミの分別だとかゴミ回収の有料化のツケを負担させられるのが一般消費者であることとの兼ね合いはいったいどうなっているのだろう。 例えば新聞。 普通に日刊紙を購読していると、毎日配達される新聞の中にはアホみたいに折込広告がはいる。 それも景気がよくなると枚数がテキメンに増え、一気に分譲マンションの広告・車の広告・近在10km四方のスーパーの売り出しの広告・電気屋の安売りの広告・・・ それでですよ、新聞も広告も、消費者のほうががちがちに決められた回収の規制を強いられて始末しなければならないのってなんかおかしいじゃない。 もしも新聞販売店が「古新聞や広告は読んだら回収します」っていうんなら話は別だけど、新聞販売店は売るだけ。 消費者(それも年寄りだけの世帯も多くなるしね)の家に溜まった新聞や広告は、昔のようにちり紙交換車も最近はなかなか見ないし、家の中に溜まっていく一方。 エコ、という発想に対して、実は私はなかなか素直に「はい、そうしましょう」とは言えないことを自覚している。(エコ推進派の皆様、すみません) 日本にいないから見えていないことがもっとたくさんあって「実はね、今、コレはこんなふうに回収に来てくれるんだよ」とか「古新聞をどこそこに月に一回持っていけば再生された鉛筆をくれるんだよ」とか、そんなふうになっているだろうか。 物が増えただけで、それはあなたが欲しいから買ったのでしょう、という押し付けの論理で全部、利用者の責任になるとしたら、その理屈にはものすごく反発したくなる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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