「待ってろよ」
去年、初めてイギリスのテレビで放映していたオーディション番組「アメリカン・アイドル(以下、AI)」は、すでに今年も始まっている。私にとってAI仲間の双璧は、いつもいろいろ興味深いことを書き込んでネタを提供して下さるべるさんと、かつての仕事仲間のYちゃん。今年のAIはついにシーズン6に突入。シーズン1~4の本選は私は見ておらず、各期の優勝者だけ一応知っていた程度だが、たまたま初めてみた去年のシーズン5は自分の中で結構盛り上がった。単なる歌の対戦以上に、いろいろと人間ドラマがあったりするところに感情移入してしまうのね。しかしAIを見れば見るほど、何か説明のつかないもやもやしていた気持ちがあり、その実態がなんなのか測りかねていたら、昨日のべるさんからのメッセージでアメリカ人ってみーんなあんなに自信過剰なのかと誤解しちゃいます」と書かれていたものがヒントになって、ああそうか、気になったのはこれだったんだってことが今日の日記のテーマ。いや、アメリカ人が自信過剰かどうかという見方とはちょっと角度が違うが、関連はあるかもしれない。このAIという番組自体は、まずアメリカの各州で予選、そしてハリウッドでの2次予選を勝ち抜いた男女各12人が毎週1人(2人の時もあるかな)順に落とされ、最後に勝ち抜いた1人がレコードデビューに至るというオーディション番組。この番組自体はもともと、イギリスで2001年~2003年に2回放映された「Pop Idol」が元番組であり、そこから、私の愛するウィル・ヤングが出たことはしつこいくらい書いてきた。そして、その後、営業上の駆け引きがあって、イギリスでは「Pop Idol」は一時的に無くなって、それに取って代わって続いているのが「X Factor」という流れ。はいっ、ここまでがおさらい。(爆)それで本題だ。これらの番組を私はもう過去3~4年に渡って見てきているが(物好き)その中で今回はっきり気づいたこと。アメリカはやたら「I Love アメリカ」精神満載なのだ。実はこれが結構笑えない状態で、この間からかなり個人的に気になっていたのである。今、放送されているAIのシーズン6はまだ予選の段階。この段階は「どこをどう押したらアンタが次のアメリカンアイドルやねん」という人たち、中には予選よりも先に医者に行ってこいよというようなわけのわからない人たちがひしめき合っている段階だが、まず今のこの時点で「見ててくれ、アメリカ」「アメリカ、待ってろよ」と、必ずテレビカメラに向かってアメリカを意識したアピールをする人がものすごく多い。まあ、こういう人たちは、実力もないのに勘違いだけはナショナルレベルの人たちだからこういうこともあるかと思えるが去年のシーズン5の決勝の段階(つまりここにいる数人から確実に優勝者が出るという段階だ)を思い起こしても、ちょっと出来のいいパフォーマンスがあると「アメリカ、今の歌を聴いたか?」と司会者も言う。今思うと私はとてもこれが気になっていた。考えてもみてほしい。こういうオーディションでもなんでも、だが、はたして日本の番組で、オリンピックの「がんばれニッポン」以外で(爆)参加者が「日本、見てろよ」なんて、日本という国名を出して、次はボクが(ワタシが)来るんだぜとアピールしていただろうか。自分至上主義で「時代はオレを待っていた」とか「お待たせしました、ワタシの出番です」みたいな人はいつの時代にもいたと思うし、それをそこまで不思議だとは思わないが、アメリカの番組だと「アメリカ~、なんちゃらかんちゃら~」って、わざわざ国名を出してアメリカを称えつつ、そこで勝負をかける自分に酔っている人が多すぎる気がする。じゃあ、イギリスはどうか。さっきも書いたが、イギリスでも「Pop Idol」も見たし「X Factor」も見ているし、その他、今は素人・有名人を問わず、こういうリアリティ番組が花盛りなのだが、その中で「イギリス(英語にイギリスという単語はなくてGreat BritainとかUnited Kingdomになるにしても、だ)待ってろよ」なんて言った人はまだ一人も見たことがない。もちろん、個人的に自分の世界にはいりまくっている人はいるし、これはアメリカでもイギリスでも、はたまた日本でも同じだろう。しかしイギリスでは同じオーディション番組でイギリスという国全体にアピールしている人というのはやっぱり見ないのだ。但し、イギリスというのは日本と同じくらい郷土意識の強いところはある。イギリスというのも単なる日本での固有名詞であって英語としては意味がないし、本来、イギリスの国土の中で生まれ育った人たちはイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドそれぞれを一つの国と捉えている節があり、そこの中の人として認識されたがっている傾向はある。したがって、こういうテレビ番組に出る人たちは、スコットランド出身者ならスコットランドの地方の人たちが結構無条件に肩入れするし、ウェールズ出身者ならその地方の人たち・・・もっと小さく区切って、リバプール出身者が出ていたらリバプールの市民が応援する、みたいな「ご当地応援主義」という感覚は強いし、これは日本も同じようなものだろう。しかし、いくら考えても、アメリカの番組の中で「America, here I come!=アメリカ、オレが来たんだぞ(だから覚悟しとけよ)」みたいに、国に呼びかけて自分をアピールする人は見ない。そういう言動の裏側には、アメリカを唯一無二の世界という捉え方で見て「ああ、アメリカってなんてすごい国なんだ」という意識があるからこそ、そのアメリカにこれから君臨するのはこの自分なんだ、という自己陶酔が見えて見えてしゃーないのは私だけだろうか。この話をクマイチにしてみたら「確かにそうだよね、アメリカの番組って『Oh, America, what a country!』みたいにアメリカ、ステキって言わせてるというか思わせてるものがそういえば多いよね」との感想。そのへん、イギリスは皮肉屋が多いと言おうか、だいたいがアイロニカルな国だから「イギリス(United Kingdom)ってすごい!」なんてマジで口にしようものなら「オマエ、ちょっとおかしいんちゃうか」てな反応が返ってくるか、ハズシまくった冗談として片付けられるかのどっちかだ。だから、Great Britainに対抗して「Little Britain」なんて名前のコメディができて、その内容と相まって、それが大変ウケてしまう土壌なのだ。自分のいる国を指して「○○、待ってろよ」という表現は考えてみればおもしろいかもしれない。この○○がインドだったら人口11億、中国だったら13億人が待たなければいけない。本当の意味で世界にケンカを売るだけの人口レベルだからすごい。しかし、インドでも中国でも、自分のいる国の国民に対して「待ってろよ」なんて本気で言っている人はやっぱり政治家か事業家くらいであって、芸能人がそういうことは思っていないような気がするのだがどうだろう。これが即アメリカ非難、というわけではないのだが、どうもアメリカという国にはある種の洗脳のメカニズムが存在しているのかもしれないと思う。このメカニズムがアメリカを「世界の警察」としてしまっている一つの要素であれば、決して笑ってばかりはいられないのではないだろうか。