カテゴリ:歴史
ココ揚州は古くから日本との交流があった。
1250年前に日本に仏教伝来の為に日本に来た「鑑真和尚」この人も揚州人。 鑑真のお寺は「大明時」と言い、今でも揚州では有名な観光地となっている。 日本の唐招提寺は鑑真が立てたお寺で今でも縁が深い。 今年の春には、阿南中国全権大使とその奥様が来られ、大明時で写真展も行われた。 その時に夕食会に招待され、阿南大使と直接お話ができた事は記憶に新しい。 とても気さくな方で私にも気軽に声をかけていただいた。この人のお父さんが、終戦 記念日に割腹自殺をしたあの有名な阿南大将だと知ったのはその後の事であった。 そこでせっかく揚州に居るのだから記念となるように、この大明寺の一番偉い和尚 さんに一筆書いてもらえないかを考えた。 いろいろな人脈を通して調べていくうちに、この一番偉い和尚さんは「能修」という 人だと言う事がわかった。しかも、「書」はなかなか書いてくれない事も解った。 半年前に頼んでも、まだ書いてもらっていない人がいるらしい。 ある仏教信者の社長さんで大明寺には結構献金をしている人に頼んで、書を書いても らえるようお願いした。それから3日後、仏教信者の社長さんから電話がかかってきた。 大明寺から今日の午後4時に来て欲しいと言う連絡があったと、早速行って見るとそこは 会議室であった。15人ほどの人が話をしているその主催者がその「能修」と言う人のようだ。 訳の解らなかった会議も終わり、一時間後やっと書いてもらった。 日本からのお土産と礼金の包みには、(口乞)早点と書いて小坊主さんに渡した。 やはり、こう言う特別な事は結構めんどくさいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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