鹿
風邪気味のフクダさんから電話が来た。一昨昨日から連絡をとりたかったのに全く電話が通じず往生していたので、助かった。いや、助かった以上の嬉しい連絡だった。鹿が獲れた。思わずあの美味しさが蘇る。しかし鹿肉を囲んでの宴はまだ先。今月半ばに初めて森を訪れるお客様のためのご馳走なのだ。さて、今回はどんな調理をしようか。そういえば去年もこの時期だった。あの時は雪が1mほど積もっていた。その上で猟師と一緒に解体し、串に刺して火で炙って食べた。ヒレの部分は生で食べた。とろけるようだった。中型の鹿一頭で80人が肉を味わうことができた。今回はどのくらいの大きさなのだろう。今晩届く。**中学生が鹿を解体して食べた。そういうと、反応は二つ。いい体験ができて羨ましい、自分達もやってみたい。というのと、残酷だ。過激だ。子どもは嫌がらなかったのか。というもの。子どもは嫌がらなかったのか。この問に答えれば、嫌がらなかった。こんなに美味しい肉はないと、むしゃむしゃと食べていた。勿論この中学生はそれまでに鶏を捌いたり(死んでいる鶏)、豚の内臓を使って理科の授業をしたりと言う積み重ねがある。そして一緒にいる大人(学校の先生達)がこうした経験を大切に思っている。普段口に入る食べ物がどのような流通でくるのかという事、生き物の命をもらって私たちの命をつないでいる事。これを伝えないといけないという使命感のようなものが大人側にある。この秋はやはりフクダさんの計らいでウサギを食べることができた。内臓を取り出すことは気持ちが悪い、皮をはぐことはかわいそうだ。そんなことを口にしていた中学生も、寒さで凍えたからだにウサギ汁を入れたときの暖かさと野生の肉の味に黙ってしまった。つべこべ言わずにまずは食ってみろ。かわいそうなら豚も牛も鶏も魚も食うな。そんな師匠の声が聞こえてきそうだ。