|
テーマ:映画ニュース(1430)
カテゴリ:映画
土井敏邦監督の『沈黙を破る』を見てきました。
2002年のイスラエルのパレスチナ占領の様子と元イスラエル兵士の証言のドキュメンタリー映画です。2002年のジェニン侵攻・虐殺にはじまるジェニン占領をパレスチナ人の側から映していました。 占領される、とは常に戦争状態に置かれるということで、突然のイスラエル軍の発砲により、多くの人が命を失っていき、また家や財産を失っていく様子が描かれていました。血がたまっていたり飛び散った様子がなまなましかったですし、亡くなったり怪我をした人々の様子に目頭が熱くなってしまいました。 一方、20代の若き元イスラエル兵士が、パレスチナ人に対してしてきたことを語りはじめました。それが『沈黙を破る』という名の活動です。 イスラエルのパレスチナ占領の問題点だけでなく、国家の戦争宣伝や軍隊の非人間性について語たるものだったと思います。 ドロテ・ゼレという神学者がかつて『軍拡は戦争がなくても人を殺す』という書を著しましたが、この映画を見ながら改めて「兵士は戦争がなくても人を殺すのだ」と感じました。この場合「戦争がなくても人を殺す」というのは、他人だけでなく、自らの人間性をも殺してしまうことを意味します。 兵士として訓練を受けること、その訓練において人は人間性を剥ぎ取られていきます。戦争のときはこうしろ、という訓練を受ければ、占領だから、戦闘状態にない地域だから、という区別はもはやできない、とのこと。なぜなら、占領地域での自爆テロを恐れることになるし、テロリストを殺すためという名目で、家を壊し、まったく平和な町に発砲する命令にも感情をはさまずに従わなくてはならないからだ、と。 元イスラエル兵士の一人は、自分の親や祖父母ほどの人々を平気で辱めたり暴力を振るっても、その場にあっては無感覚だったことを告白しています。また、占領中の退屈さ、見張りの退屈さから、毎日"事件"を求めていたということや、戦闘命令にワクワクした、ということなどが語られていました。それを今は異常である、と気づき、元兵士たちの証言は、イスラエル軍は、国家によっては「世界一人道的軍隊」と宣伝されている嘘を暴きだしていました(かつての"皇軍"もそうだったんでしょうね)。彼らはパレスチナ人を救うためというよりも、イスラエルの国家がこんなことをしていては滅びるということを警告し、訴えているのでした。その活動はまだ多くの人には受け入れられていないようですが、顧問となっている人はパレスチナ人の自爆テロによって愛する娘を失った人でした。憎しみと報復によっては何も解決しないことを元兵士たちを支援することで訴えています。 キリスト教では、この時期イエスが十字架につけられるという受難を覚えていますが、イエスの十字架刑があった地域で、なおも争いが止むことなく、理不尽な占領と殺し合いが繰り返されていることになんともいえない無力感を覚えてしまいました。 また、土井監督の『"私"を生きる』という映画が完成したことの報告もありました。4月11日に明治大学であるようです。先の2.11集会でお呼びした佐藤美和子さんが出演しているので、見たいと思いましたが、日曜日だし東京じゃ行けません。いつか見たい映画だ、と思いました。土井監督が佐藤さんについて書いている記事がこちらにありました。ご参考まで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Mar 31, 2010 12:44:12 AM
コメント(0) | コメントを書く
[映画] カテゴリの最新記事
|
|