大我の愛に向けて
ここのところ、またオットとうまくいかなくてしんどい日々でした。「もうあかん、限界」と「いやいや、もうすこし頑張ろう」の繰り返し。御曹司が私にベッタリでネットサーフィンができないこともあって、ノートパソコンにここのところの出来事とその思いをつらつらつづっていました。(折を見て日記にアップできるように)その、いろいろ辛い出来事~一応自分の中で考えが固まるまでのものすごいダラダラと長い日記が、朝テレビから聞こえてきたたった一言につきることに気がつきました。思いをつづったダラダラ日記を先にアップしようか、それともこちらを先にアップしようか、悩んでたのですが、(ダラダラ日記はかなりうっとーしい内容なので(爆☆))「B100・大天使メタトロン使用体験記」で別途アップすることにしました。(自分の考えの整理とボトル使用の感想のシェアも兼ねて…。)『痛快エブリディ』はわりとボヤキの多い番組なのであんまり見ないのですが、なぜかこの日は朝からテレビをつけっぱなしにしていました。(多分クラッシック音楽の特集をやっていたからだと思いますが)江原さんが出ていて「小我の愛を棄てて大我の愛に生きる」というお話をされていました。最近、江原さんの本やテレビは意識して見ないことにしていたんだけど、なぜか江原さんからはいつもいつもタイムリーにいろんな言葉を頂いていて、前にもいろいろ悩んでいた時に「山の行より里の行」という言葉をもらったばかり。前回の学びは、仕事を探そうか、とかいろいろ迷っていた時で単に「今は家の中でしっかり勉強しなさい」ということだと解釈してたんだけど…。「家庭を守ることの大切さ」の中でも、子育てや家事労働に目が行きがちだったけど、今回いろんな経験をさせてもらってやっと気づきました。個人的な好き嫌いとか、損得勘定とか、そういう個人的なことを越えるために、まずは世の中の最小単位である家族の中で勉強せよ、ということなのだ、と。今回きっかけはオットが持ち込んだけど、ここまで苦しんだのは自分の「欲」のせい。「オットがこんなふうになってくれれば」とか「こんなオットならもっといいのに」とか「私がこんなに気をつかってるのにこのオッサンは何にも分かってくれない」とか…。「こうしないといけない」とか「こういう結果にならないと気に入らない」とか全部私の価値基準で勝手に判断して、勝手に縛りを作っているだけ。全部私の作った狭~くて小っちゃな世界。でも、ちょっと違う側面から見たり考えたりすれば、「私の世界」からもっと広い世界に視野が広がるかもしれない。「大我の愛」って難しいし、未熟な私にとってはしんどく感じることもあるけど、自分の世界が広がっていろんなものとつながる大きなチャンスなのかもしれない。(ホントは元々みんなつながっているんだろうけどね)「もっと自由になっていいよ」そう言われているような気がしました。