両親の人生、私の人生。
おとといは、母に会社を辞めた報告をしたことを書きました。今日は両親と自分の人生の関わりについて、最近感じることを書いてみますね。まず、先日母と話していてすごーく感じたのは、”私はいい時代に生まれたんだな”ということ。母親の世代だと、女性は結婚して子供を産んで家を守るものだとされてきました。大黒柱であるダンナさまが働いて、女性はそれを支える存在。ある意味依存してればよかったのかもしれませんが、自分がやりたいことを主張して、ガンガンやっていくことはできなかったんですよね。「社会通念上結婚するものだと言われたから、ギモンもなく結婚してここまで来たけど、今の時代だったらしなかったかも」「オットが定年になったら、自分は自分の人生を生きたい」そんな50代以上の人の声をたまに聞きます。(これは男性も女性も、ですね~。)今は時代が変わって、職も自由に選びやすいし、最初に就いた仕事にしがみつかなくても、その後も自由に選択していくことが容易です。男性・女性の役割というのも、ガチガチにはなっていないと思います。結婚だって、してもしなくてもどっちでもって感じですよね?母は、それなりに幸せだと思うけど、本当に自分らしく生きてこれたかというと、そうではないように思います。それが、私は自分のやりたい事を追求できる状態にあるので、本当に恵まれているな~と思ったんですよね。両親が普通に大切に育ててくれたおかげで、自立して社会生活を送れることも、ありがたいですよね。そんなことを思って、母と話しているうちに、”ありがたいな~”と感謝の気持ちでいっぱいになったのでした。そして、私が自分の人生に対して「このままじゃダメだな~」と強く思うようになったのは、父の死というのも、かなり影響しているのですね。最近、父の死というのは彼個人の問題ではなく、それによって、私に気づきを与えるためのものだったのかな?という気がします。先祖から続く大きな流れで見ると、私は「何かをしなくてはいけない」宿命を持って生まれて来ていて、でもなかなかそれに気づいて実行しない人だったのかもしれません。それを父が死を持って教えてくれたような気がします。というか、もっと大きな何かが?ちょっと大袈裟なんですけど、自分が持って生まれた役割を果たすことを、求められている気がします。(思い込みかもしれません・笑)話は変わって、母に「書くことなどをしていく」と話したら「あんたは子供の頃から、書くのが好きだったもんねぇ」と言っていました。「今、本のプロジェクトに関わっていて、出版されたら名前が載るかもよ」そういいつつ、ライフワークで宮沢賢治の研究をずっとしていて、将来は本を出したいと言っていた父のことを思い出しました。私が自分のライフワークを進めるということは、私の人生だけの問題じゃないのかもしれませんね。(宮沢賢治の研究はしないけど・笑)