私が会社を辞める理由 その8
<前回までのあらすじ>会社を辞めることを決めたなごやん。その経緯をお話しています。外に出かけているうちに、本田健さんのことを知り、2003年9月、12月と講演会に出かけ、感動しました。それ以降、いろんなセミナーに参加し、人の輪が広がる生活がぼちぼち始まります。>そんなふうに、地元での動きからも、少しずつ人の輪が広がって行くのでした。では、今日のお話を始めます。2003年9月から始まる2004年度。私の所属するセクションは、驚異的に売上げが伸びていました。新規事業を立ち上げ、今まで紆余曲折していたのが、やっと実を結んできたのです。仕事も少しは分化出来るようになり、その年は数百棟の分譲住宅外構工事を請け負いました。人数は変わらないのに、売上げは前年の倍以上。いや、2,5倍くらいになっていました。「やっと仕組みが出来てきた~!」図面もよく分からないのに現場管理をし、戻ってから図面訂正をしたり、見積もりを作っていた日々。夜遅くまで大型のプロジェクト企画書や見積もりを作り、「すご~い。○億の見積もりだ~」と一生懸命だったころ。それがウソみたいに、チームが回り始め、通常の業務の多くはメンバーがまわして行けるようになりました。売上げが上がると、当然利益も上がりました。でも会社全体は不景気なので、昇給もなければ、賞与も上がったと言っても知れています。毎月処理する数千万の売上げ。毎月振り込まれる、新卒の額に毛が生えたような自分の給料。会社はある年から「これからはベースアップはしていかない。給料があがるのは、昇格した時だけ」という方針になっていましたが、実際には昇格してもほとんどあがりませんでした。"なんだこりゃ?このペースだと、私はこの先マネージャーになっても部長になっても、知れてるんじゃない?"私がそう思うのは、当然のことでした。そして、零細企業はそんなものかもしれないですけど、給与規定が曖昧で、昔からいる年上の男性社員はそこそこの待遇で、"使えねー"人でも給料が下がることはありません。そんな人たちと話すたびに、意識レベルの低さに愕然とし、私の頭の中は「???」はてなマークでいっぱいになっていくのでした。自分の部署の売上が格段に上がった時、そのギモンはさらに増していき、"頑張っても自分には返ってこない"虚しさを感じはじめたのでした。次回に続く。