12月1日を胸に刻む
それは、突然の訃報だった。12月2日朝、いつもどおりの職員朝礼。「突然のことですが、みなさんに悲しいお知らせをお伝えしなければなりません。2年前から白血病と闘病していたRさんが、昨日他界されました。Rさんに黙祷をささげましょう。」???どういうこと?元気になってるって、学校にも顔を出したって、よくなってるって聞いたけど?………それからしばらく、状況がつかめずにいた。ただ、傍らでは、I先生が号泣していた。通夜は、12月5日に行われた。たくさんの生徒たちが泣いている。そんな中、4日経ってもRさんの死を受け入れられない自分がいた。葬儀社の方が淡々と皆を導く。自分の焼香が近づいてきたとき、ようやく周りが見え始め、中学二年生の同級生のみんなの寄せ書きや、Rさんの遺影を確認した。あの遺影の顔、どこかで見たことが…最前列に進み、焼香を急かされる。1回、2回、3回…いきなり涙があふれて止まらなくなってきた。右に視線を送ると、Rさんのお父さんとお母さんの顔。ようやく死という現実を理解したのか、声を出すまいとしても、嗚咽の声をあげてしまう。お母さんに声をかけようと思うが、言葉が出ない。お辞儀をするのが精一杯だった。通夜の列をながめながら、自分を落ち着かせるのに精一杯だった。「Rさんが少しでもさびしい思いをしないように、我々は残りましょう。」1人、2人…と人影がなくなる中、私たちは、Rさんの棺に足を進めた。お母さんに「顔を見てあげてください。」と言っていただき、Rさんの顔を覗き込もうとしたが、どうしてだろう?震えが止まらない。首が言うことをきかない。奥歯をカタカタ鳴らしながら、体が勝手に(見せまい)とする。結局、直視することは一度もできなかった。目の前にいらっしゃるお父さん、お母さんにかけてあげる言葉も見つからない。そんな自分が恥ずかしいと思っていたその時、「先生、この遺影の横には先生が写っているんですよ。」逆に、お父さんに声をかけられた。「遺影をどれにしようかといろいろ写真を探したのですが、初等部の卒業式の時に先生と一緒に撮ったこの写真が一番Rらしい、いい笑顔をしていたので。」それまで、それでもなんとかふさいでいた涙のダムが一気に流れ出した。「先生に教えてもらっていた2年間は、Rが一番楽しそうでした。先生のことも大好きでしたし。」お母さんからこの言葉をかけていただいた時は、もうすでに膝から下の力が全く入らなくなってしまった。人目をはばからず、号泣するしかなかった。力を振り絞り、Rさんの棺に手を当て、Rさん、あなたのことは絶対に忘れない。あなたに誓って、命を精一杯燃やし続ける子どもたちをこれからも育てていく。ずっとそばで見ていてね。と誓った。結局、涙がどうしても止まらず、お父さんとお母さんには、声をかけられずに帰途についた。家に帰り、自分のアルバムの中からRさんの姿を探した。修学旅行の時撮ってもらったスナップの中に、Rさんと一緒のものがあった。私はそれを抜き出し、翌朝、職員室のデスクマットの中にはさんだ。これからの自分をずっとRさんに見ていてもらうために。