5年前の震災に黙祷したが
5年前の今日、東日本大震災が起こりました。私が住んでいるところは震源地から遠く離れていて、その日私が感じた揺れはめまいほどもなかったですが、テレビを見て大きな地震だったことを知り、ひどく動揺したことを覚えています。今日、私が日中過ごした場所では館内放送で、地震が発生した午後2時46分から1分間黙祷をしようという呼びかけがありました。私も真面目に目をつぶってうつむいて黙祷しました。しかし、この1分間、私の心中にあったのは、震災にあった人を悼む思いではありませんでした。「1分長い」「まだ終わらない」「でも、こうやって目をつぶって意識的に震災のことに思いを馳せるという、追悼の意を示すのに形から入るというのが意味があるのであるよ」などなど雑念にまみれているうちに、追悼の時間があっさりと過ぎてしまいました。今朝テレビで、まだ2561人が見つかっていないことを聞いた時の方が、よっぽど震災に遭った人のことを考えていたでしょう。身内で震災で亡くなった人がいないとはいえ、たった5年前に日本国内に起きた災害に、たった1分集中できない己の愚かさを恥じました。しかしその直後、ドアを挟んだ隣から、黙祷が終わったざわめきと共に、「1分て案外長いなー!」という男性の声が聞こえてきたので、愚かなのは私だけじゃなかったと安心してしまいました。「にんげんだもの」(by相田みつを)って、こんな時に使う言葉でしょうか。【楽天ブックスならいつでも送料無料】黙祷の時間 [ ジークフリート・レンツ ]価格:1,728円(税込、送料込)【楽天ブックスならいつでも送料無料】にんげんだもの [ 相田みつを ]価格:1,625円(税込、送料込)