イサーンで出会った印象的な人々、第2回はコンケン県内で働く日本人女性Aさん
です。
Aさんは看護士。
日本のとある団体から派遣されて、コンケン県内の病院・診療所で、
もう18年も働いていらっしゃいます。
Aさんの主なお仕事は、ハンセン病という病気の元患者さんたちの手足の診療と
セルフ・ケアの指導や、コロニー内での巡回訪問。
Aさんと出会う前、私はハンセン病という病気についてほとんど知識がありませんでした。
ハンセン病は「らい菌」によって引き起こされる感染症で、
病気についての知識が乏しかった頃の日本では、発症すると強制的に
療養所に隔離され、家族からも絶縁されたり、強制的に堕胎させられたり・・・と
激しい偏見・差別の対象になった病気です。
しかし、実際は「らい菌」の感染力は極めて弱く、
また今では特効薬が開発されているので、完治する病気となっているそうです。
今、日本での新規患者数は年間数人、
タイでも現在は1万人あたり約0.2人(2006年)の割合だそうです。
ただ病気自体が完治しても、病気中になった、または後遺症としての知覚麻痺を
かかえている元患者さんたちはまだまだ沢山。
知覚麻痺、つまり、痛いとか熱いとか冷たいとかの感覚がなくなってしまう状態
(主に手や足などの末端に出ることが多いらしい)なのですが、
これが結構大変なのだそうです。
例えば、私たちは普通、
靴の中に石ころが入っていたら、踏んづけて痛いから靴を脱いで石ころを取り出します。
裸足で歩いていて、足の裏に釘がささってしまった!という時は、
当然、「イテテテテ!」と慌てて釘を抜き、傷跡を消毒するなりして手当をします。
ところが、足に知覚麻痺が残る元患者さんは、足で何を踏んづけようが、
何かが刺さろうが全く気がつかないのでそのまんま。
傷はどんどん悪化するし、傷が出来ていること自体に気がつかないままに放置して、
ばい菌が入ってしまう。
それがやがて足全体に広がったために、指を失ったり、ヘタすると
下肢切断なんてことにもなるのだそうです。
Aさんの仕事は、日々の手入れや初期治療さえすれば、
手足を失わなくてすむ元患者さんたちに、家で自分で出来る手入れの方法を
指導しつつ、自分では出来ない部分のケアをしてあげること。
これまでAさんの職場である診療所を計3回訪問したのですが、
毎回Aさんは元患者さんたちの足を洗い、傷があれば手当てをし、
皮膚が「たこ」のように硬くなってしまった部分をやすりで削る・・・
それを繰り返していました。
その合間に、家でちゃんと自分でもやるのよ!とおじちゃんおばちゃんたちに念押し。
もちろん、Aさんには元患者さんやその家族が住むコロニー内での巡回訪問
コンケンの病院・診療所やコロニーを始め、タイ国内でのハンセン病関連施設や団体に
日本人の訪問者があれば案内役をつとめ、会議があれば出席し・・・と、
他にもいろいろと仕事があるのだけれど、
基本的にはここでひたすら元患者さん達の足(手の場合もあるかもしれないけど、主に足)を洗い、傷の手入れや指導をして・・・ということを
もう17年も続けてきたのだそうです。
そんなにも長い間、地道に働いてこられたことに本当に頭が下がります。
地道・・・というか、「地味」ともいえる働き。
けれどもそんな「地味」な働きのおかげで、どれだけの元患者さんたちが
足や手指を失わずにすんだことか。
それを思うとき、
心のどこかで「何かでっかい仕事、何か大きなインパクトを生み出す仕事に関わりたい!」
と思っている自分、
同時に、今置かれている環境や自分の能力の限界でそれが実現できないことに
焦りやいらだちをおぼえている自分自身を、ふっと肩の力を抜いて眺めることが
できるような、そんな気持ちになります。
みんなが注目するような仕事、大きな成果を生み出す仕事じゃなくても、
価値のある仕事(「仕事」以外でもいろいろ)は、いくらでもある。
一見、地味に思えることだって、するべき価値のあることは
いくらでもあるのだ・・・と、そんなことを思わされたAさんとの出会いでした。
このシリーズ、あともう1回分書こうと思っているんですが・・・・
引越までいよいよカウントダウン! たっくんの誕生日もあるし・・・あわわわわ。