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東京なな猫通信

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2005年11月25日
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      路

   路をみれば
   こころ おどる


これは、八木重吉という詩人の詩です。


八木重吉、知ってますか?
明治31年に生まれ、昭和2年に、30歳という若さで
妻と二人のこどもを遺して死んでしまったひとです。

なにを隠そう、なな猫が初めて詩というものにはまったのが
この八木重吉の詩だったんですけど
どうも詩というものに読み慣れず、
いまはとっぷりと浸っている立原道造にもなじめずにいた
中学・高校の頃、
なぜか、この人の詩だけが、スポンジが水を吸い込むように
ぐびりぐびりとわたしの心に入ってしまったのです。

 
      草にすわる

  わたしのまちがいだった
  わたしの まちがいだった
  こうして 草にすわれば それがわかる

   
      愛の家
  
  まことに 愛にあふれた家は
  のきばから 火をふいてるようだ


      悲しみ

  かなしみと
  わたしと
  足をからませて たどたどとゆく


         吉野登美子著
          『琴はしずかに 八木重吉の妻として』所収


タイトルに出した「路をみれば こころおどる」の詩句は
なぜかすきで
周りを草原に囲まれた一本の路が目の前に浮かぶようで
いまでも、すぐ口をついて出る重吉の詩です。

実は最近、前から読んでみたいと思っていた、
重吉の妻の吉野登美子さんが書いた
『琴はしずかに 八木重吉の妻として』を
古書店で安く見つけて読みまして、
昔の感動がよみがえったというわけ。
こんな長い詩も、その本の中に出されていたので
ちょっと長いですが、懐かしくて、書き抜いてみます。

      
        明日

  まず明日も眼を醒まそう
  誰れがさきにめをさましても
  ほかの者をみな起すのだ
  眼がハッキリとさめて気持もたしかになったら
  いままで寝ていたところはとり乱しているから
  この三畳の間へ親子四人あつまろう
  登子お前は陽二を抱いてそこにおすわり
  桃ちゃんは私のお膝へおててをついて
  いつものようにお顔をつっぷすがいいよ
  そこで私は聖書をとり
  馬太伝六章の主の祈りをよみますから
  みんないっしょに祈る心になろう
  この朝のつとめを
  どうぞしてたのしい真剣なつとめとして続かせたい
  さあお前は朝飯のしたくにおとりかかり
  私は二人を子守りしているから
  お互いに心をうち込んでその務を果そう
  もう出来たのか
  では皆ご飯にしよう
  桃子はアブちゃんをかけてそこへおすわり
  陽ちゃんは母ちゃんのそばへすわって
  皆おいちいおいちいって食べようね
  七時半ごろになると
  私は勤めに出かけねばならない
  まだ本当にしっくり心にあった仕事とは思わないが
  とにかく自分に出来るしごとであり
  妻と子を養う糧を得られる
  大勢の子供を相手の仕事で
  あながちに悪るい仕事とも思われない
  心を尽くせば
  少しはよい事もできるかもしれぬ
  そして何より意義のあると思うことは
  生徒たちはつまり「隣人」である
  それゆえに私の心は
  生徒たちにむかっているとき
  大きな修練を経ているのだ
  何よりも一人一人の少年を
  基督其の人の化身とおもわねばならぬ
  そればかりではない
  同僚も皆彼の化身とおもわねばならぬ
  (自分の妻子もそうである)
  そのきもちで勤めの時間をすごすのだ
  その心がけが何より根本だ
  絶えずあらゆるものに額ずいていよう
  このおもいから
  存外いやなおもいも晴れてゆくだろう
  進んでは自分に更に更に美しくなり得る望みが湧こう
  そうして日日をくらしていったら
  つまらないと思ったこの職も
  他の仕事に比べて劣っているとはおもわれなくもなるであろう
  こんな望みで進むのだ
  休みの時間には
  基督のことをおもいすごそう
  夕方になれば
  妻や子の顔を心にうかべ乍ら家路をたどる
  美しいつつましい慰めの時だ
  よく晴れた日なら
  身体いっぱいに夕日をあび 
  小学生の昔にかえったつもりで口笛でも吹きながら
  雨ふりならば
  傘におちる雨の音にききいりながら
  砂利の白いふぶをたのしんであるいてこよう
  もし暴風の日があるなら
  一心に基督を念じてつきぬけて来よう
  そしていつの日もいつの日も
  門口には六つもの瞳がよろこびむかえてくれる
  私はその日勤め先きでの出来事をかたり
  妻は留守中のできごとをかたる
  何でもない事でもお互いにたのしい
  そして お互いに今日一日
  神についての考えに誤りはなかったかをかんがえ合せてみよう
  又それについて話し合ってみよう
  しばらくは
  親子四人他愛のない休息の時である
  私も何もかもほったらかして子供の相手だ
  やがて揃って夕飯をたべる
  ささやかな生活でも
  子供を二人かかえてお互いに夕ぐれ時はかなり忙しい
  さあ寝るまでは又子供等の一騒ぎだ
  そのうち奴さん達は
  倒れた兵隊さんの様に一人二人と寝入ってしまう
  私等は二人で
  子供の枕元で静かなお祈りをしよう
  桃子たちも眼をあいていたらいっしょにするのだ
  ほんとうに
  自分の心に
  いつも大きな花をもっていたいものだ
  その花は他人を憎まなければ蝕まれはしない
  他人を憎めば自ずとそこだけ腐れてゆく
  この花を抱いて皆ねむりにつこう


八木重吉の一番長い詩ということで、
当時の日常が活写されているようです。
こんな日が送れたら。
こんな家族になれたら、どんなにいいだろうね。


でも、重吉は幼い子と妻を遺して死に、
のちに、その二人のお子さんたちまでも
母一人を遺して、重吉と同じ病で死んでしまいます。


読んですぐわかりますが
キリスト者の詩ということで、
どうしても詩史のなかで正当に評価されなかったという。
それを、真っ正面から論じていった、田中清光著の『詩人八木重吉』も、
以前買いながら、ちゃんと読んでなかった。。
ちょっと、きちんと読んでみようと思います。





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Last updated  2005年11月25日 15時12分40秒
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