原爆投下・全記録(8月6日放送・NHKスペシャルより)
この番組のナレーションや当事者の証言で、個人的に心に残った文章や言葉を掲載させていただきます。日本人にとって忘れてはならないものです。★「核の爆風による気圧の変化で眼球が飛び出た。皮膚の毛穴から膿が出て、皮膚が剥れた。裏山に死体を焼く所があって、その(無数の)死体を焼いた体液が川となって流れてきた」(被爆者たちの証言)★候補地である「新潟・広島・小倉・長崎」は、原爆の被害だけを記録に残すため(通常の)空爆はしない、原爆を落とすまでは。エノラ・ゲイの操縦士は緊張のあまり「食べ物の味もわからなくなった」そして当時のトルーマン大統領は、原爆投下(と、その破壊力)の成功を笑顔で会見。一方、日本軍は思考停止状態に陥って、陸軍関係者は落とされたのが原爆であることを信じようとはしなかった。原爆を落とされたのを確認しても尚、降伏しようとしない日本。そこで(米軍は)二発目の準備にとりかかる。B29「ボックス・カー」が長崎に原爆投下したその日、日本が仲介を期待していたソ連が(日本の敵として)参戦すると、ようやく無条件降伏の道を歩みだす。それでも陸軍は素直に応じようとはしなかった。そして米軍は三発目の準備に入る。標的は皇居。★しかし降伏しても、被爆者にとって戦争は終わっていなかった。被爆者の治療に当たった医学生は「たくさんの人が死に、今からでも死んでいくわけだから、その人たちの死は本当に虚しい。原爆症との闘いは始まったばかりで終戦なんかないと思い直して、次の日の診療に出かけて行った。出血と高熱に苦しみながら次々と死んでゆく人たちに、何一つ治療をすることができませんでした。それでも被爆者たちはワラにもすがる思いで、助けてくださいと手を合わせて拝まれるのです」★被爆地を訪れた米兵士の中には原爆投下の正当性に疑問を感じる者もいた。「この世のものと思えない被害を見た。日本人への憎しみから同情に変わった。なぜ人間が同じ人間にこんな恐ろしいことをしてしまったのか」★核の恐怖に支配されていく世界への警告とは……原子爆弾をコントロールできなければ、そして国々がともに生きることを学べなければ、以下の言葉が現実のものとなる……「世界の大都市とそこに住む人々は、徹底的な破壊と突然の死に直面する」(原爆のすべてに関わった陸軍准将トーマス・ファレル)以上……二発の核によって奪われた民間人の命は12万9千~22万6千。日本軍の上層部や政府が、仮にドイツが降伏した5月に同時降伏していれば、原爆もなく沖縄戦ももっと抑えられました。沖縄戦による死者は民間人9,4万、日本軍9,4万、米軍1,2万。そして、この非常時の対応の遅さや間違った政策は、今(令和)の政治&行政にも脈々と受け継がれています。※間違った政策の一部とは、大震災や豪雨災害における復興において全く無関係の場所やゼネコン事業に国家予算(税金)が使われることです。