先住民遺産「ペトログリフ」 Part 1
日曜日にまわりのみんなが、Rock & Roll, Pt. 2 by Gary Glitter (別名Hey Song) をバックグランド・ミュージックに沸き立っている頃(←この意味がわかったら貴方は結構アメリカ通。この説明は後日します)、私は前から訪れたかった渓谷を訪れました。 この渓谷の存在はかなり前から知っていたのですが、考古学的遺産が残っていることもあって、そこまでの行き方は関係者の口がすごく堅いのです。それでも知り合い数人から行き方を聞いていたのですが、彼らの説明もすごく曖昧で、過去に2回トライして到達出来なかったという曰く付きの渓谷でありました。 今回は3度目の正直で、やっと到着出来ました。役に立ったのは知り合いから教えてもらった行き方ではなくて、なんとウェブ上でちょっと調べれば、行き方情報を載せている人がいて、そのインターネット情報でした ^_^; 関係者が口を閉ざしている理由は、その渓谷が市街地からかなり近い所にあり、あまり大っぴらに情報を提供すると、沢山の人が一気に訪れ、そのことによって、その渓谷にある考古学的遺産が破壊や盗掘の憂き目にあう確立が非常に高くなるからです。 また考古学的遺産と書きましたがそれは私たちが使っている表現で、地元のアメリカ先住民(いわゆるインディアン)にとってはその内容から、彼らの宗教的かつ文化的な先祖の遺産と位置付けていて、その渓谷を「聖なる土地」とも見なしていてます。 しかし米国の多くの先住民聖地の御多分にもれず、この渓谷が先住民居留地ではなくて、アメリカ連邦政府の土地にあるから話は大変ややこしくなります。このややこしい話を説明するとかなり時間がかかるので、今日はこの部分は飛ばします。 渓谷にある考古学的遺産のメインはペトログリフと呼ばれている岸壁・岩石壁画です。ペトログリフという呼び方には異論もあって、ロック(岩)・アートとも呼ばれていますが、こちらの呼び方にも異論があります。「グリフ」という表現には絵文字、 象形文字という意味もあって、ペトログリフという呼び方にはこれらの絵が記録やコミュニケーションに使用されていた「文字」だという潜在意識が潜んでいる名前だからです。 ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達する以前の米先住民は、少数の例外を除いて主に口承伝承が中心で、記録文字文化を持っていなかったというのが通説になっています。ここでこれらの壁画を文字の一種と見なすとこの通説が大きく崩れさることになり、異論反論を唱える人たちの間でかなり熱い討論が繰り返されているのが現状です。 一方で「ロック・アート」とすると、絵文字派から反論がくるのと、アートと言う名前の響きから、余暇で作成されたものという“軽い”イメージが付きまとうので、これらの壁画が宗教的儀式に関連して制作されたと信じる人たちから、その表現では宗教的重みが感じられないとクレームが来たりします。 宗教芸術という言葉もある位だし、個人的には「アート」という表現にあまりネガティブなイメージが無い私ですが、「アートにはピンからキリがある。崇高な精神のもと作成されたこれらの壁画を何でもかんでも他のアートと一緒くたにされたくない」という主張を聞くと、納得はしなくても、「うーん」と唸ってしまいます。 ロック・ペインティングという呼び名もありますが、ここで紹介する壁画は厳密にはペインティング(顔料などを使って色を付けて描いたもの)ではないのと、呼び名がないと困るので、ここでは一応便宜上ペトログリフという名で表記します。 ペトログリフは長い歳月をかけて岩の表面に出来た黒いデザート・バーニシュと、その下に隠れる岩の色の違いを利用して作成された壁画です。顔料などを使って色を付けて描いたものではないと書きましたが、バーニシュに覆われた岩を切り込んだり、突付いたり、擦ったり、刻んだり、削ったり、叩いたりすると、黒いバーニシュが剥がれ、岩肌の本来の色が現れます。この技法を用いて描かれたものがペトログリフです。 デザート・バーニシュ(直訳:砂漠のうわ薬、ワニス)は、風によって運ばれて来た粘土(土)成分が岩の表面に薄く付着し、その粘土成分が今度は空気中の鉱物をキャッチすることによて化学反応を起こし、岩の表面がまるで釉薬を塗ったように黒くなる現象です。 ちなみに顔料などを使って色を付けて描いたものはピクトグラフと呼ばれて分けられています。有名なフランスのラスコーの洞窟は顔料を使って描かれているのでピクトグラフになります。もっともラスコーにペトログリフが無いとは言い切れませんが・・・。 なんか長くなったので続きはまた後で。[続く] 【写真】アットラトル(狩猟に使用する投げ槍風道具)のペトログリフ。ペトログリフの年代測定方法は、未だ考古学者の間でも論議が繰り返され、これといった確立された測定方法はまだありませんが(確立されていると主張するグループもいますが)、このアットラトルは比較的年代特定し易いペトログリフと見なされています。獲物への的中確率が高く狩猟効率が良い弓と矢が伝わると、アットラトルの使用が衰退していったので、この地域でのアットラトルの使用年代と、弓矢の伝来時期を照らし合わせることによって年代を推定することが可能だからです。