次女誕生!
『便りがないのは良い便り』とは、高校時代の恩師の名言だが、ことここブログの世界では、そうとも限るまい。良いことがあり、心身ともに健康であれば、何か書きたくなるのが人情というもの。それが出来ないとなれば、何らかの事情があると見て間違いない。良くても『相当忙しい』とか、悪かったら、『相当きつい』とか。さて、私の場合(正確に言えば娘なのだが)、新年早々、強烈な体調不良との戦いを強いられた。元旦からやけに機嫌が悪いと思っていてたら40度というひどい熱があり、病院に行ったら、アデノウィルスという最新流行の病気にかかっていた。以来、尋常ならざる高熱と食欲不振と不機嫌に苦しむ娘をひたすら看病する毎日。とはいえ私の仕事も新年より多忙を極め、そうそう休むわけにも行かず、臨月の嫁がひたすら看病を続けるのだった。予定日になったとはいえ、娘は40度の高熱。そのためか、甘え方も普通でない。寝ていても、定期的に嫁の所在を確認し、側に居ないと知るや大泣き。これでは、嫁としても、とてもじゃないが出産という雰囲気にならない。予定日を過ぎても、一向に産気づいてこない日々が続いた。今思えば、これは妹の出現によって『一人っ子としての愛情独占権』が危ぶまれることを本能的に察知した娘なりの反乱に思えてならない。とはいえ、さすがにここにきて、娘の反乱空しく?病は回復し、それに伴い、昨晩から急激に出産モードに突入していった。陣痛のペースが速まり、入院することになったのが昨夜22時。それでも、まだしばらくは産まれそうにないということで、私は一旦家で待機することに。今日の昼くらいになるのかなと、のんびり構えているつもりでも、興奮しているのか、なかなか眠れない。ようやく眠りに付いたかに思えた今朝の4時半。いきなり電話が鳴った。『今から先生が来ることになった・・・』聞けばその声はやけに苦しそう。私は飛び起きて、病院に向かって着いたのが午前5時。手術室の嫁はしきりに呻き声を上げ、気も動転しようかという勢いではあったが、当直の看護士さんの様子から事態の緊急性はあまり感じられない。にもかかわらず、数分おきの陣痛のたびに私を握る嫁の握力は、普段からは想像も付かぬほど強い。顔を見れば意識を失いかけているのか、死んだ魚のような目をしている。ようやく先生が登場したのは、午前5時半のことだった。その後に及んでも、『いきむ』とかいうアクションをする素振りは見えない。本当に産まれてくるんだろうかと、何度も思いながら、『もっとしっかり、そんな顔してたら、ビデオに撮るよ』『大丈夫、こずえちゃんから教えてもらった呼吸法を思い出して!』などと、聞こえているかどうかもわからぬ嫁に向かって声をかけ続けていた。突然、『シューーーー』という掃除機のような音がした。どうやら、嫁の様子を見た先生は、自力の出産を断念し、子供を吸引する方針に打って出た模様。と間もなく、子供の頭が見え始め、あーあーと私が呆気に取られている間に、全て出てきた。午前5時46分。激しいつわりや、右足の静脈瘤という、最初の時にはなかった苦しみと戦い、予定日から早4日過ぎたそれまでの長さを思えば、あまりにもあっという間の出産だった。ひなそれからの出来事は、まるで2年前にタイムスリップしたかのようだった。同じ病院だったこともあるだろう。二人目が生まれたというよりも、一人目が生まれたときに逆戻りしたような気分。誕生直後の長女一人目の時は3,080グラムだったけれど、今回は3,600グラム。予定日より遅く産まれた分だけ、とても大きい。そして、泣き声は、比較にならないほど大きい…今は、正直言って、母子共に無事であったことをホッとする以外の喜びは、まだ良くわからない。それよりも、またミルクから、ハイハイ、夜泣きと、やり直すのかーという気持ちの方がある。子育てというのは、可愛いだけじゃない。それに伴う労力は、途方もない。しかし、せっかく丈夫に産まれて来てくれた娘だ。可愛い子供にするには、子供を可愛がってやるしかない。はなに負けない愛情を注ぎこんで、可愛い姉妹にしてやりたい。保育園から帰って『妹』を見に来た娘の顔が、やけに頼もしく見えたのは、私の気のせいだろうか。お姉さんになったはな