ヒガシに行ってきた。
今日は、用事で博多に出かけたものの、時間が余ったため、久々に母校東福岡高校を訪れてみた。ご存じのない方のためにここで簡単な紹介をしてみると…東福岡高校は、私立の普通科高校。九州の玄関口JR博多駅から徒歩で約20分。部活動と進学指導に力を入れており…とそこまでは「普通の高校」に思われるが、一番の特徴は「男子校であること」。とにかくオトコ臭いのだ。2年連続全国優勝したラグビー部や、ベイスターズの村田君を輩出した野球部。日本代表の長友君を輩出したサッカー部と、部活動の実績はただものじゃないし、1学年700名以上(私の代は868名)という大所帯でありながら、現役大学合格率94%というのも、その辺の普通科高校でもなかなかないだろう。でも、その全ての原動力は、「男子校であること」にあるように思えてならない。あれだけの実績を聞けば、外部の人は、「どうせ優秀な人間を引っ張ってきてんだろ?」と思うだろう。一部の部活動では、そんな面もあるかもしれない。でも、こと勉強に限っていえば、入学時の生徒の学力は、ごくごく普通レベル。なにしろ、東京とかと違い、福岡県では、「県立高校」の権威が非常に高い。校名がどうであれ、福岡県内において世間の評価は、「所詮私立…」現に、新入生の殆どは県立高校に落ちたコンプレックスを抱えている。そんな我々がそこまで頑張るのは、とにかく「女にモテたい」という一心だった。特に、私の高校時代、世はバブルの最終局面。華やかな一般社会と、男子校との落差はあまりにも激しく、「俺も絶対良い大学に行って エンジョイ(もはや死語?)するんだ!」という野望は否応にも高まり、猛烈な勉強に励んだのだった。その後の人生はともかく、18歳人口がピークと言われたあの時代、高校入学時の偏差値が60前後だった私が、9個の大学の合格証書とともに「青山学院大学進学」を果たしたというのは、東福岡高校という存在抜きには、ありえなかった。気付けば卒業して早18年が経過し、別に可愛いセーラー服を着た女子がいるわけでもない母校を訪れてみようと思ったのは、全くの気まぐれにすぎない。この前訪れたのがいつだったのか覚えていないから、少なくとも10年以上ご無沙汰の、通学路。ビルのテナントがいくつか変わっていることを除けば、あまり変わり映えがしないと思って校門の前を見て驚いた。私の通っていたはずの校舎がご覧のとおり、見る影もないほど校舎が変わっているのだ、卒業生の私なんかへの寄付金の要請も全くない中で、よくもこれだけの全面改築が出来たものだ。私立高校のいいところは、基本的に先生がずっとその学校にいてくれること。お世話になった先生方に挨拶しようと思い、受付に入ってまた驚いた。メチャクチャキレイな受付の人がいた!私がいた時は、養護教諭1名以外、そもそも女性はいなかったように思う。変わり果てた校舎の中で、すでに故人となった創立者の銅像だけは、かつてのままの場所にあった。在校当時、あまりにも唐突な感じがしたあの銅像は、いざ当人が亡くなってしまうと、妙な落ち着きを感じさせられる。食堂に行くと、午後4時前と言うのに、生徒の姿を沢山見た。「こいつら何回飯食えばいいんだろうか」と思いつつ、グラウンドを見たら、みんな人工芝になっていた。(ブンデスリーグのなんたらと同じらしい)A先生とT先生を訪ねて牢屋のような自彊館へ。ここだけは変わっていないと思ったら、どういうわけか「女子トイレ」を発見。18年振りの先生方は、白髪やシワも目立ち、老けたなぁと思ったが、よく考えてみたら、当時の先生の歳が、今の私ぐらいだったのだ、変わり果てた母校の中で、一つだけ変わらないものを発見。それは時間割。「週休2日制」というものは存在せず、土曜日も知らん顔で6時間授業。平日は、地獄の8時間授業と思い、よくよく見ると、朝7時40分から始まる全員必修の「課外授業」は「0時間目」と書かれており、都合「1日9時間」という無茶苦茶な時間割。それを見た瞬間、一気に地獄の日々を思い出した。夏休みも2週間くらいしかなく、寝るときと、ご飯のとき以外はすべて勉強。「女にモテたい」という一心で必死に食らいついた3年間。今の私は、あの頃のように頑張っているだろうか?「甘えるんじゃないよ」18年前の私に言われたような気がした。