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カテゴリ:古きよき物
その流れでこの方ゆかりの地へ!
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀です
現在の住まい(半分?)の滋賀県大津市に坂本城をかまえ この地を統治していた戦国武将です
琵琶湖に接した城で、対岸にあの安土城があり 船で行き来したとも伝えられています
軍事基地として、比叡山の監視に、流通の要にと いろんな意味で建てられた城のようです
明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか?
真相は深い闇の中!
怨恨説、天下取り説、朝廷陰謀説、黒幕の存在・・・ その他、光秀は生きてお坊さんになった説など 様々な憶測が現在も飛び交っていますが 根本的に織田信長と明智光秀は対照的だったようです
家臣が命に従わなかったり、謀反の動きを見せたり 僧侶や民であっても反抗するものは徹底的に排除し 一族女子供まで情け容赦なく皆殺しにした信長公に対し
明智光秀は朝廷や僧侶とのつながりも深く 義理人情を重んじる人柄だったらしく 信長公に何度も残忍な殺生をしないよう嘆願したようです そして 家臣を決して裏切らなかったといいます
圧倒的な強さとカリスマ性をもち 民が潤うための政策を考えたり、古い考えにとらわれない 革新的な改革をしようとした面もある信長公
保守的な伝統を重んじる人柄がうかがえる明智光秀は そんな主君に仕えつつ、最終的には・・・ 強行で残忍、横暴な行動、命令についていけなくなったのでは?!
『 魔王信長を止めるのは今しかない! 』 そう思って本能寺をめざしたのかもしれませんね
『三日天下』 『主君殺し』 などと歴史で習ってきた私は 明智光秀の人柄や戦国時代での生き方など知れば知るほど 真実はどうなのだろうと遠い時代に想いを馳せ 歴史の上辺だけでなく、もっと深いものを感じ考えさせられました
明智光秀ゆかりの地での探訪だったので 逆に信長公側の視点で書かれているものは まったく見方が違うのでしょうね・・・
参考文献は後世の勝者が都合のいいように書いているだけ との見解を示す人もあり 真実は深い歴史の中に埋まってしまうのかもしれません
『 兵どもが夢のあと 』
坂本城址の公園にはこんなものもありました
鳥羽一郎さんの歌のようですが聞いたことはありません(^^;
この歴史探訪している時に 偶然にもすばらしい人物にたどりつきました^^
この続きはまた時間のある時に(笑)
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