お正月の過ごし方・2
え?お正月?今は2月もそろそろ中旬にさしかかろうかというところですよ?ツッコまれる前に自分から書いてみました!さてさて、頼りない記憶力をフル稼働させ、1か月以上前の記憶を掘り起こして書きますよwえーと、大塔宮まで書きましたね。さて、鎌倉宮(大塔宮)で休憩をとり、また歩き始めます。鎌倉は坂道の多いところですが、この日の行程、駅からはすべて徒歩です。若い頃のヒンホウ生活のタマモノか、あまり車を使う生活をしていません。当時住んでいた戸越公園から戸越銀座を経て武蔵小山まで歩いたり、昔勤めていた大崎から西大井まで歩いて帰ったり。今でも時々、会社から家まで25分くらいの道のりを歩いて帰ったりもします。道々の花や果樹などを眺めながら歩くのは楽しいものです。さて、鎌倉宮から徒歩で15分くらい(このへんアイマイ)、途中「吾妻鏡」にも出てくる永福寺{ようふくじ}跡(今は公園になっていて、復元が予定されています)で看板見てフンフンとわかった気になったりしながら、瑞泉寺へ。ここは臨済宗のお寺で、美しさで名高い庭園があります。今リンク先を見てみたら、トップが雪景色の写真でしたよ!びゅりほー!麓の門をくぐって拝観料(200円)を納め、こんな趣のある石段を登っていくと……こんな石碑に出会います。なんと、吉田松陰先生もご滞在されたことのあるお寺です。たった今調べました。第二十五世のご住職が松陰先生の母方の伯父上だそうです。この石碑のすぐ近くに、案内図がありました。はい、よく見えませんね。わかります。コンデジの限界だと思ってお許しくだしあ。山門をくぐり、いよいよ境内へ。本堂正面。手前の見事な枝振りの木は「黄梅」。お寺のHPには、見事な花をつけた写真があります。本堂右手のこの建物は、おそらく普段お坊様方が過ごされる場所でしょう。天女洞。夢窓国師(国士無双じゃないワヨ!)が岩盤を彫って造った庭園です。上の建物裏手からは、この天女洞がよく見えます。瑞泉寺HPには由来や意味などたくさん載っています。慌てて読んでみましたが、すみません目が滑りましたorz境内のお庭の灌木に咲いていたお花。なんという名前のお花なのか、未だ調べていませんw時期がお正月ということもあって、境内のお花はほとんど見られず、花の時期にまた来たいねえ、などと話し合いつつ、これまた見事な竹林を抜けて、俗世に。この竹林を抜ける途中、にゃあちゃんがいたのですが、カメラを向ける前に逃げられましたorz~山門を出たあたりで時刻はちょうどお昼を少し過ぎた頃。麓へ降りる途中のおそばやさん「もみじや」でたぬきそばをいただきました。このおそばやさん、関西風のおだしで、変わった食感の揚げ玉が入っていました。関西風と知っていたなら、うどんにするべきだったかも~家人情報によると、平日はあんまり営業してないそうですwその後、鎌倉宮まで戻り、護良親王の墓所にご挨拶をしたり、旭屋本店で名物の豆大福ほか(ショーケース見てたらアレもコレもと…)和菓子を買ったり、おみくじ付のちいさい招きにゃんこを買って貰ったりして、最後に訪れたのは「銭洗い弁天」こと銭洗弁財天宇賀福神社。石造の鳥居をくぐると、洞窟になっていて、洞窟を抜けないと社殿にたどり着くことができません。この日も参詣者がたくさんいらっしゃって、時刻も夕方となっていて、実はご挨拶だけして後にしました。この宇賀福神社のある土地は名を「佐助」といいます。佐助神社という神社もあります。こちらは稲荷社です。なんともいなせな響きのする地名です。鎌倉めぐりを思い出しながらしみじみ思うことは、もしこの土地に生まれ育っていたら社会科の時間に机にヨダレ池を造ることはなかっただろうなあ……ということと、デジイチ欲しいッ!!!!!です。2014/2/7 先週はちょっと食欲がなかったようですが、アニィくん元気です。