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テーマ:映画館で観た映画(8560)
カテゴリ:極上の暇つぶし 映画
ダニー・ボイル監督、ジェームス・フランコ主演(というかほとんど一人芝居) 自分の庭のようにしているキャニオンで休日を堪能しようと、流れるように身支度をするアーロン。 母から電話が入るが、手を止めず留守番メッセージを聞くのみ。 最高の休日。 ミスは誰にも行き先を告げなかっったこと。 最初に女の子の二人連れを秘密のプールに案内するシーンは映画用のフィクション。 彼がいかにキャニオンに精通し、楽しんでいるか、そして後の映画の9割を占める孤独との戦いとのコントラストに、美しく楽しいシーンを入れたのでしょう。 それにこの逸話がないと本当に一人芝居になっちゃうので、映画的には必要かも。 割れ目に落下してしまった時も、落下だけなら、想定内のアクシデントとして対処可能なはずだった。彼のスキルなら。 運悪く大きな岩が上から落ちて右腕をはさまれてしまう。 絶望的な状況から奇跡の生還を果たすまでの127時間。 割れ目から見えるのは小さな空と渡りガラスのみ。 彼はビデオに語りかける。 たぶん、最初は発見されたときのために、家族へ遺す説明とメッセージだったのでしょう。 「ママ、電話に出ればよかったよ。そうすれば今こんな危機に陥ってはいないよね」 身動きがきかない状況の中、持ちゆるすべてを使って対処しようとする。 ロープを岩に回して、引き上げようとする。 ナイフで岩を削る。 腕を切り落とす選択肢も早い段階からあったようなのだが、持ってきた母親のプレゼントのナイフは皮膚に傷を付けることすら出来ず、メイドインチャイナではなく、スイス製にするべきだったと自嘲気味にビデオに語る。 最後の決断で、なまくらナイフで腕を切るのだが、映画を観る前は、まさか、なまくらなナイフとは想像しなかったので、このことに一番衝撃を受けました。 生還する姿には、知らずに涙が出てしまう(書いてる今も)。 でも、自分で骨と神経を切り落とすことはがなぜ可能なのか、ショック症状を起こさずになぜ出来たのかは、ずっと疑問でした。 原作を読んだ方のブログで、この疑問はある程度解消されました。 もう壊死にかかり、神経も死んで、本人にとって、腕はじゃまなお荷物でしかない状態だったようです。 (この方は原作でのアーロンは自業自得に思えて好意を持てなかったけど、映画のアーロンには魅了されたとおっしゃってました) もし災害などで腕や足をはさまれた人を設備のない状態で切断して助けられるかどかは、たくさんの課題があるはず。 だから彼は奇跡を起こした、運のいい男だったのです。 フランコの演技はすばらしいの一言。観客の共感性、すごく高いと思います。 ボイルの映像美も面目躍如。 落下のシーンはどんな撮影をしたのかなあ。 映像に詳しくないのでわかりませんが。 あ、問題のシーンは、直視出来ません。 息詰まる閉塞空間が舞台だけど、広がりの感じられる映像。 直視出来ないのだけど、また観たいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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