あのおじさんを探して 後編
上海から瀋陽までは飛行機で2時間ほど。瀋陽は上海に比べると涼しく、湿度も高くないのでとても過ごしやすかったです。久しぶりに瀋陽の街を見て回ったけど、ここも以前と比べて街並みはかなり変わってました。裏街にあったかつての満州国時代の建物はどんどん壊され、代わりに無機質なビルが林立してました。翌朝、僕は蘇さんの家を訪ねました。周囲は多少変わってましたけど、あの三階建てアパートは変わらないままでした。三階にある彼の部屋に行き、ノックをすると見知らぬおばあさんが出てきました。「蘇さんはいますか?」と聞くと、「彼はもう引っ越したよ」とおばあさんは答えました。よくよく聞くと、5年ほど前にこのアパートを離れ、近くに買ったマンションに引っ越したそうです。「詳しい事は大家さんが知ってるかも」とおばあさんは大家さんの電話番号を教えてくれました。この部屋を離れ、教えてくれた大家さんに電話を掛けました。すると電話に出たその大家さんは、蘇さんはいま広州で仕事をしてるよと教えてくれました。たまたま大家さんは蘇さんの携帯番号を知っていたので、それを教えてもらいました。これで彼との接点ができました。ドキドキしながら彼に電話しました。「もしもし、誰?」「こんにちは、僕は11年前に瀋陽で蘇さんと会った日本人です」「おー憶えているよ。いま何しているの?」「いま瀋陽で蘇さんの家を訪ねてました」その後僕は留学してた事、上海で仕事をして、もうじき中国を離れる事を告げました。「もう中国に来る機会はあまりないから、いまから広州に行ってもいい?」と蘇さんにたずねました。「今日は特に用事もないし、いいよ。でも無理しないでね」と彼は快く答えてくれました。それから早速飛行機のチケットを手配して、瀋陽から広州へと向かいました。飛行機に乗ること3時間半、ようやく広州に着きました。空港で蘇さんは待ってくれています。出口付近は人がいっぱいで、出てすぐは蘇さんを見つけられませんでした。きょろきょろしていると、目の前にかつての面影が飛び込んできました。そのまますぐに握手をして抱き合いました。僕は11年前、蘇さんに大変お世話になったことを彼に中国語で伝えました。彼は僕が中国語を話せることに驚きつつも、気にする事がないよと言ってくれました。その後一緒にご飯を食べに行きました。この空白の11年は驚きの連続でした。彼は五年前に勤めていた会社を辞めて、広州で商売を始めました。仕事も軌道に乗って、広州でマンションを買ったそうです。また東南アジアへよく出張にも行って、僕よりも海外経験は豊富でした。翌朝僕が上海に戻るまで、お互いいっぱい話をしました。彼と別れたあと、心の中に残っていたものが取れたような気がしました。蘇さんに11年ぶりに会えたことだけではなく、中国語でコミュニケーションを取れた事が何よりうれしかったです。もう思い残すことなく、中国大陸を離れることができました。ありがとう、蘇さん。。。