慈善のゆううつ(5月17日投稿の続き)
夕食をいただきに行ったレストランのオーナーさんと話しました。
オーナーさんはレストランの売上金などを持って、孤児(多分)や恵まれない子供たちのための学校を運営しています。
オーナーさんが子供たちの成長を語るとき、目が輝いて、ほんとうに嬉しそうでした。
それは昼間見た光景と、鮮やかなコントラストを持って、こころに残りました。
こういったチャリティー行為に対する批判や、弱み、マイナスの影響だってもちろんありうると思います。(そういう気持ちがむくむくと出てきそうだったことも確か)でもこうした行為が本当は自分のためなのだろう、という批判だけでは、やっぱり片付けきれない。
昼間に感じたゆううつと、夜に垣間見たよろこびの間にあるこの差はなんだろう?
ものすご~く単純に、身体がかゆくなるのを我慢して言えば、それは「愛」かな~
与える側の自己満足だとしても、お金だけでなく、愛を与えられたら、それは受け取る側にも何か違った形としてのこるのではないか。
オーナーさんの目や声の響きには、子供たちにまっすぐ向かっているものがあって、少なくともそれがないことには、こうした行為はゆううつ以外の何物でもない。
のかもしれない。
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