代理出産におもう
☆まちがって代理出産に興味をお持ちの方、代理出産をしている方が、ここに迷い込んできてしまった場合、どうぞこの日記は読まないで、スルーして帰ってくださいね☆不妊治療のプロセスについての説明を受けたとき、担当のシンガポールのお医者様に、「もしもこのプロセスが上手くいかなかった場合、次があるとしたら、どんなことをするのですか?」と、(いささか消極的な…)質問をしました。すると彼の答えが、「そうだなあ…。他人の子宮を使うとか?」……… えええ~~~!!!???★それってシンガポールではアリなの!?と聞いたところ、もちろんアリだよ。という答えでした。代理出産。最初にこのアイデアを聞いた時から、私の中ではそこまでいくことは…「NO」でした。しかしながら、ああ、またこうして上がることのできる階段が増えてしまった。。という、なんとも、もやもやした感じを受けました。不妊治療をやっていると思うのですが、これはどこまでいくのかを「自分で決める」という点で、ストレスフルな過程であると感じます。ちょっと前だったら、子供が出来なければ、それは自然から与えられた(もしくは事故や病気の結果として)自分ではどうしようもない、泣く泣く諦めることを受け入れる。。という道が主だったと思います。しかし今では、様々な薬がある、治療法がある。みんな期待をいだきながら、それぞれの条件・経済力に合った方法を試していくわけです。そしてそんな方法の中に、自分の子宮が使えなくても、他人の子宮。自分の精子が無くても、他の細胞から精子を作っちゃう。という新たなる可能性が加わってきた。もちろん新しい可能性が増えてくること自体は「朗報」なのだけれど、それを「選ぶ」「決める」という過程が、どんどん課されていくのだろうなあ。。と、ちょっとブルーになった次第。 -----以下、ある雑誌からの抜粋です。======<日本人向けにインドでの代理出産プログラムと、韓国の卵子提供での体外受精プログラムを提供しています>これは最近シンガポールに誕生したメディブリッジという斡旋業者がサイトで謳うメッセージである。さらに、このサイトには「子宮のない人が子宮のある人の助けを借りて、人並みに子供を授かることに何の問題があるのだ」といささか挑発的な文章が書かれている。 =====実際メディブリッジのサイトでは、代理出産費用として、<日本人向けA社:1,500万円>に対して<メディブリッジ社:700万円>とかなり安価な価格設定となっている。この費用に引かれて利用する日本人夫婦がすぐにでも出てきそうだ。(選択 2009年6月号 「代理出産」問題という日本のタブー より抜粋)======上記の記事では、日本では子供を持ちたい側の理屈と同情でしか、物事を理解していないが、ことはもっと複雑だ、と述べています。(でも700万って安価じゃないよ~~)======「代理出産でよく忘れがちなのは、代理母をする側の家族。私が取材した代理母には、姉のために代理出産をやって、子供を産んだ瞬間に連れ去られ、縁を切られた人もいる。また代理母の母親に猛反対をされて、それでも代理母をやった女性はその後、母親とも縁を切られたまま。もっと精神的なダメージを与えるのは、代理母自身の子供に対するもの。自分の兄弟になるはずの子供が連れ去られるのですから、理解できないまま、受けた傷は消えることはない。」(同上:大野和基氏の言として)======こういう生殖ビジネスが可能となっている背景には、貧富の、特に南北の貧富の格差が前提としてあるのではないかと思います。インドでは「代理母」という職業が確率しているそうです。大金を支払っても自分の子供が欲しいと望む人々と、大金を得るために自分の子宮を提供する人々の間には、大きな溝があるように感じます。子供が欲しい人(+-×÷)=お金が欲しい人っていう、有償の公式を認めてしまうと、今は全然全然想像できませんが、韓国から卵を買って、インドでふ化…というのが、いつか○×国で卵を買って、日本でふ化。。になったって、文句が言えないような気がする。。上記の記事ではまた、有償無償に関わらず、代理出産で障害児やHIV感染児が生まれた際の、どちらの親にも受け入れられず、捨てられる子供の悲惨さにも言及しています。自分で産んだって、子供が五体満足で生まれるかどうか、お母さんは、毎日どきどきするものだと思います。他人に任せて、「完璧な子供を産みなさい」というのは、いくら技術が進んでいても、リスクはあるし、おめでたすぎる要求なのでは…。自分が治療をしていてなんだけれども、あまりにも何かを欲し求めるというのは、どこか怖い気がします。たとえそれが子供であっても。あんまり欲しがりすぎると、その欲しがっている対象そのものよりも、「欲しい」という気持ちばかりが重くなりそうで。子供が欲しい、幸せになりたい、「個人の尊重と幸福の希求」こそは何ものにも代えがたい。って、ほんとに? 子供って、もちろんできたらとっても嬉しいけれど、私にとっては「責任の発生」という認識の方が強いんだけれども。。(だからできないのか~)自分の幸福(と責任)に他人の子宮まで巻き込みたくない、というのが今の自分の気持ちです。(その前に金がないが。。)もちろん、人によって、背景や決断は違いましょうが。 -----生殖がビジネスになり、不妊の人たちの選択肢として、日々新しい技術が紹介され、実施されていく潮流はこれからもますます強く、激しくなっていくのだと思います。自分にとって、何が機軸であり、どこをリミットとするのか。ひとりひとりが考え、パートナーと合意して、流されるのではなくて、覚めて行動しないといけない時代なのかもしれません。あと、法整備を急いでもらいたい。