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カテゴリ:新城市/北設楽郡(東栄・豊根・豊根)
長篠の戦い・設楽原の戦い戦国最強と恐れられていた騎馬隊武田軍と、鉄砲隊の織田・徳川連合軍との戦い。本で何度も触れる歴史の変わりめを、目で観たかった。 430数年前の事なのに、歴史が蘇えるようで、軽い恐怖を感じました。 武田勝頼(30才)VS長篠城主奥平貞昌(21才)・徳川家康(34才)・織田信長(42才) 長篠城址史跡保存館 長篠城は日本100名城指定です。 保存館には「血染めの陣太鼓」「鳥居強右衛門磔刑の図」などが展示されています。 武田信玄の後を継いだ勝頼(カツヨリ)は、1万5千の兵を連れ長篠城を包囲した。 城主奥平貞昌は兵糧攻めにあい落城寸前だった。 城の足軽、鳥居強右衛門(すねえもん)が包囲された城を抜け出し、岡崎城の家康へ援軍を頼みに走った。 役目を果たし、再び城へ戻るところで、武田軍に捕まった。 武田軍は命を助ける代わりに城に向かって「援軍は来たらず」と叫べと命令したが、鳥居は「援軍はすぐ来る。しばし御辛抱を!」と叫んだため、磔処刑された。 武田軍は敵の身分とはいえ、鳥居の忠心さに心を打たれたという。 長篠城址史跡保存館:愛知県新城市長篠字市場22の1 新城市設楽原歴史資料館 館内には、火縄銃の歴史、火おんどりコーナーなどがある。 資料館の屋上階から戦場を見渡してみる。 手前の台地と茂みが武田軍の陣地。小山が家康軍本陣、弾正山。左手向こう側で、武田軍が最後の戦いをした。 資料館横に信玄塚がある。 信玄塚と火おんどり 天正3年(1575)織田・徳川連合軍と武田軍の戦いは、連合軍側の大勝に終わった。 この戦いでの戦死者は両軍合わせて1万6千人。 竹広の村民が後片付けをし、手厚く葬り、「信玄塚」と名をつけた。 武田信玄の名は偉大だったんですね。 毎年8月15日の夜に戦死者を弔って、たいまつ「火おんどり」が行われるそうです。 新城市設楽原歴史資料館:愛知県新城市竹広字信玄原552 馬防柵 設楽原の戦いに使われた馬防柵を再現したもの。 当時、天下無敵と言われた武田の騎馬隊を防ぎ止め、柵の内側から鉄砲で狙い撃ちしたもの。 馬防柵の場所:設楽原歴史資料館の坂を下りる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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