太宰治の熱烈なファンにとってはどんな映画も 満足はいかないかも知れませんね。
「人間失格」の映画を観て来ました。小栗旬が演じていました。高校生のころ私は太宰治が好きでした。真剣に生きようとして生きることが出来ない人の代弁者の様に感じられたからだと思います。今日の映画を観ての感想は太宰はもっと繊細でもっと弱い精神状況の人の代弁者であって今日の映画とは違うと思いました。キリスト教を知っていてもそこに救いを求めることはなかった太宰治でもあります。小説を書くために堕落して自分を落とし込んでいる間に自分を取り戻す「笑い」さえ作り出すことが出来なくなり死を選ぶことになった作家だと思います。思春期の時の不安や人に対する恐れしかし、自分らしく生きて行こうと思うとき太宰の存在は大きく感じました。この人も同じように悩んでいる同志だと思ったからです。やはり、太宰の映画を作るなら、出生や生い立ちから始める必要を感じたのは私だけでしょうか。母性本能を揺さぶり、放して置けない様な、惹きつけて離さない魅力も太宰にはありましたが、映画ではそれは表現されていなかったように思いました。私を含め、太宰治の熱烈なファンにとってはどんな映画も満足はいかないかも知れませんね。