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カテゴリ:軽度発達障害&息子の出来事
新潟では大きな地震。
ワタシの学生時代の友人も新潟に住んでいる。 中越ではなく上越なので 震源地は免れている・・ にしても心配なので、メールを送ってみたら、 その日の内に返事。 本人、長野へコンサートに出かけていたらしい。 帰ってきたら、家族が居間に集まり、 いつでも非難できる状態でいたとか。 でも、何かものが倒れたり落ちたりもしていなかったというので安心した。 彼女は学生時代の友達・・・ なので保育科卒の友人。 (ワタシも保育科を出ています) 卒業後は幼稚園の先生になり、その後、保育士になった。 (元々就職は保育園が希望だったから) 彼女へのメールの終わりに、 「最近、障害児教育に興味を持ち、なんとなく勉強しています」 と加えた。 すると、彼女からの返事に 「クラスに高機能広汎性発達障害の子どもがいるので 必要に迫られて勉強している」 「nobuppiちゃんが、保育の仕事に携わってくれたら 私はすごく嬉しい」 とあった。 当たり前に「広汎性発達障害」という文字に反応したワタシ。 ドキッとした。 彼女には、息子の障害に付いては話していない。 ここで、ワタシも息子が実はそうなの。。。。 と、伝え、情報をシェアするかどうか。 考えます。 どうして、 まだここでその事をあっさりとカミングアウトできないのか。 自分が、 「弱者」 になってしまうような気がするのかもしれない。 きっと実際は誰もそんな目では見ないのかな。 だけど、自分が慢性的に抱える問題があって過ごしている事が、「弱点」のような、そんな感じに・・・・ うまく言葉には出来ないんだけど。 前にも書いたことがあるかもしれないけど、 ワタシは中学生になる頃から 自分の母親がいない事を公にしなくなった。 小学校から同じの人もいるので、そういう人からなんとなく周りにも伝わっているような所はあったけど。 高校以降も、ほとんど言わなかった。 わざわざ言うような事でもないとも思ったし、そういうの言おうとすると、あらたまらないとなんないし。 何より、 自分に母親がいない事を伝える事で、 「人とは違う」自分になるのがイヤだった。 ワタシは皆と同じでありたかった。 「ワタシ=母親のいない子」 というイメージを持たれるのがイヤだった。 しゅんくんに対しても同じ。 それを人に伝える事で、 「しゅんくん=発達障害の子」 というイメージになるのがイヤだ。 しゅんくんを見た時、人の脳裏に「障害」の文字が一瞬でも浮かぶのがイヤだ。 (勿論、その特徴を理解して接して欲しい部分もあるのだけど。。。) だからワタシはなかなか周囲に息子の事を伝える事ができない。 障害を持つ事に負い目を感じているわけじゃない。 ありのまんまを見て欲しい。 「障害」という言葉をその障害にしたくない。 何も人とは違わない、 自分がそう思っていても、周りはそう見てくれないかもしれない。 ワタシが母親がいない事を周りに伝えなかった気持ちと、 今、 息子の障害を周りに伝えない気持ちとは似ている。 強がりなんだろーか、ワタシは。 パソコンに向かっては、色々打てるのに。 この日記とか、メールとか、 その向こうには、誰かしら読んでくれてる人がいるわけだけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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