私の夢には、自分の実家より母の実家がよく出てくると、以前書いた覚えがある。舞台が母の実
家というだけで、特に親戚が出てくるわけではない。けれど今日、珍しいと思うくらいの人の夢
を見た。
それは、母の長兄のお嫁さん。つまり義理の伯母がメインで夢に出てきたのだ。子どもの頃から
今まで、私には「義理」という認識は全くなく、当たり前のように親戚のおばちゃんの一人なの
だった。「丸顔でやさしい」を顔にしたらおばちゃんの顔。そんな感じ。
母方の親戚は皆やさしい人ばかりだけど、大人になっていろいろ世の中の事情が解ってくると、
兄弟の多い農家の長男の元に嫁いだこのおばちゃんの、でしゃばるわけでも変に卑屈な様子もな
く、自然体で人当りのやさしいその様から、いかに人間のできたおばちゃんかも理解できるし、
その苦労を察っすることもできるのだった。
おばちゃんの夫である母の長兄は一つ年下。長寿だった私の母方の祖父母が亡くなって数年後、
脳梗塞で倒れて言語障害や身体の麻痺の後遺症があったようだ。決して怖い人ではなかったけれ
ど、元々非常に寡黙なおじちゃんだった。とてもよく尽くしてくれるので「姉さん女房は金のわ
らじを履いてでも探せ」と昔は言われた。おばちゃんは間違いなくその通りの、良い姉さん女房
だっただろうと思う。
お盆や正月になると、子どもたちを連れて兄弟姉妹が集まる。食事から風呂や寝床まで、おばち
ゃんとおばあちゃんがお世話をしてくれた。私が子どもの頃は、まだ母の下の弟と妹は未婚で実
家住いだった。つまり小舅と小姑だ。「小姑一人は鬼千匹に向かう」なんてことわざがある。
「嫁にとって、夫の兄弟姉妹は、たった1人でも鬼が1000びきいるくらいに、 めんどうで、
扱いにくい存在だというたとえ」だそうだ。私の母の姉妹も兄弟たちも、口をそろえて言う。
「私たち全員が、ここのおばちゃんにはお世話になっているんだよ」と。
3月に田舎へ行った時、おばちゃんは入所していた老人ホームで夜トイレへ立って転倒し、大腿骨
を骨折したため、病院へ入院したばかりだった。心臓がだいぶ弱って入院していたけれど退院さ
せられ、家に置いておけないほどだったため、施設に入所できて一安心していたところだったそ
うな。
私の従兄弟、つまりおばちゃんの長男から私が田舎へ行くことを聞いたおばちゃんは、私が来る
から食事の用意をしなきゃ。なんてことを前日に言っていたという。いつもいつもおばちゃんは、
そうやって私たちを気遣い、温かく迎えてくれたのだった。
病院で私の顔を見て、おばちゃんが言った。
「〇子ちゃん?」
母の名だ。おばちゃんの目にも、それくらい母と私は似ているんだろう。
母の兄弟姉妹が、私を気遣うために話し合ってくれたそうなので、おばちゃんがもしも亡くなって
も、私の方から訊かない限り、私に知らせが来ることはないと思う。実際におじちゃんは数年前
に亡くなっているが、私はだいぶ後になって知ったのだった。
今生の別れのつもりでおばちゃんを見舞った。私は次はいつ来られるかわからないので、ありが
とうだけ今言わせてほしいと言いながら、何言っちゃってんだろ私…と、少し後悔していた。
おばちゃんの顔を見ながら涙が出てきてしまったから。 だから頑張ってなんて拷問のような言葉
をうっかり言わないために、また来るからねという嘘も、さよならも言わずに帰った。
おばちゃんは4月9日で90歳だそうな。
★ Дмитрий Маликов - You Don't Give Up on Love ★